土居弘元先生による交渉学Web講座

交渉という語のイメージ

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

何事にも「上手」と「下手」はある。「上手」が高じると名人と称されるようになる。中には自称名人も出て来る。次のような経験をした。

(1)サマルカンドのモスク前でお土産を売っている人との交渉
10数年前、仕事でウズベキスタンを訪ねたことがある。私たちは数人のグループであった。4日間のうちの1日、サマルカンドの市内観光に出かけた。私たちは壮麗なモスクの前のお土産屋で壁掛けを売っているところに遭遇した。その商品の売りはかなり古いもの、ということであった。グループの一人が「私は交渉の名人である。あの壁掛けを売値の1割で買ってみせる。」と言って交渉を始めた。売り手は最初の値段から徐々に下げてくるが、買い手の方は1割の値段に固執していた。売り手は携帯電話で親方と思われる人と話し合った結果、「その値段(つまり初期値の1割の価格)では売れない。」と断ってきた。

(2)ある商社でクレーム処理を担当し、処理が上手いことを誇りにしている人の話
ある有名な商社を退職した人の話である。その人は某私大の法学部を優秀な成績で卒業し、難関の商社に入社したとのことであった。会社でクレーム問題に関する様々な紛争処理を担当し、社内では紛争処理の達人と一目置かれていたそうである。その人が次のように語った。「交渉のことは法学部で学んだ者にしか理解できない。経済学部や商学部では交渉についての考え方さえ教えていない。また、そこには交渉に関して得る理論はないと思う。私はさらに有名商社で紛争処理に関しての部署を担当し、社内に寄せられるクレーム問題を数多く担当し、それなりに解決してきた。社内では紛争処理に関しては第一人者だと見なされていたし自分でもそう思っている。私こそ交渉の名人と言えるのではないだろうか。」

一般に「交渉」という語はこのようなイメージとして捉えられている。

この二つの例を基にして「交渉の名人」について考えてみよう。そもそも「交渉の名人」とはどのような人を指す言葉なのだろうか。将棋や囲碁には名人戦があり、それに勝った人に名人という称号を与える。それぞれの連盟によって授与される称号である。それでは「交渉名人」という称号はどのような機関が授与するのだろうか。ハーバード大学ロースクールにはProgram On Negotiationという交渉の研究機関がある。そこではGreat Negotiatorを選んでいる。それは名人位とは異なるものであるが、行った交渉の業績が素晴らしい場合、その行為を賞賛し、顕彰し、ケーススタディーとして残す、という形を取っている。
これと比べると申し訳ないが上記二つの例は「自称名人」に過ぎない。交渉の質と性格も異なる。二つの例はどちらも分配型交渉、つまり「勝つため」の交渉、「勝った・負けた」という形で捉えることができる交渉である。どちらかといえば奪い取る形である。Great Negotiatorという形で評価される人は「どちらにも良かった」と思われるwin-winを求める統合型の交渉をしている。具体的に言うなら、問題解決の仲裁で両者が満足いくような案を提示し説得したのである。G・ミッチェル氏は北アイルランド紛争でイギリスと北アイルランドの紛争解決に努力しベルファスト合意への道筋をつけ、R・ホルブルック氏はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争解決に努力しデイトン合意を締結させた。これらの人たちのケースを見ると、平和を紡ぎ出すために、紛争している当事者が考えることの中から関心事項を聞き出し、時間をかけて手を握らせているのである。

では「交渉」とはいったい何なのだろうか。「値引き」をさせることなのだろうか。「クレーム処理を上手くすること」なのだろうか。「大きい紛争を解決すること」なのだろうか。そう、それらはすべて交渉である。「人と人とが話し合いによって問題を解決する」、「自分一人ではできないことを相手方と話し合うことで解決する」、このような行為に対する考え方を交渉の定義とするなら、奪い合う行為も分け合う行為も交渉と考えられる。だから、人間同士のちょっとしたお付き合いから複雑に絡む行為までほとんどの行動が交渉になる。夫婦の間で結婚記念日をどのように祝うかという相談も、同僚に対して「今夜、帰りに1杯どう?」と飲みに誘うのも交渉である。会社内でのやり取りも、会社間で事業統合をするのも、国家間の紛争を解決することも交渉である。また「クロマグロの漁獲を制限する問題」も「国家間の経済問題を解決すること」も交渉でなされるのである。
単純な問題から複雑な問題まで、人は人と話し合いをすることで、つまり交渉で問題を解決しているのである。単純な問題は容易に、複雑な問題はそれ相応に時間も手間もかかる。それらを解決するには論理を基礎にした交渉の理論によって解決を考えることが必要である。相手方の関心を考慮に入れて、その違いを考慮する。対峙する両者の心理や面子も重要な要因である(話し合いをするのは人間だからである)。このようにして、双方が共に「良かった」と思える方向に向かわせる。これが好ましい交渉であり、統合型交渉である。
相手から「むしり取るような交渉」や「相手を押さえつけるような交渉」は名人と思う人が行う交渉ではない。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

その他のレクチャー

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北東に進路をとれ

「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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FOTEについて

理論を構築しようとするとき、直面している現実にだけ目を向けて対象とするものを描写するのは適切ではない。特に社会現象に関する場合は、「どのような前提に立って論理を組み立てるのか」を明確にしておかなければならない。そうでないと、その論理の展開と現実の違いが認識できず、論理を否定することの危うさが生じる。

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「交渉学原論」について思う

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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「関心」について

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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天動説と地動説

天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。

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交渉学のアナトミー

「アナトミー」、日本語で解剖学と言う。医学部の学生が最初に学ぶ必修科目であることは前回述べた。解剖学では人間の骨格、筋肉、神経系統、内臓、等がどのように構成されており、どのように関連して動くのかが示される。人の体格が大きいとか年齢が若いとか高齢であるとかには関係がない。また国籍にも人種にも関係なく「人間」を形作っている姿を示すものである。また、それを基にして眼科、循環器科、脳神経外科といった特定の領域の研究がされるのではないし、環境の変化と人間構造の関連が考えられることもない。解剖学を学ぶことで人間が持っている構造を捉えることができ、医学が対象とする枠組みを考えることができる。そのために学ぶのである。その観点から見て、医学に関連する人々が取り扱う対象領域はどのようなものかを限定して示すものであり、医学関連の人達にとって必須の科目になると言えるのであろう。

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アナトミー

アナトミー(anatomy)。日本語で「解剖、または解剖学」のことである。普通は医学や生物系に関連している用語である。解剖学は医学部の学生にとって最初に習得しなければならない必修の基礎科目である。だから医学部では誰もが一生懸命に学び、この科目を十分に習得する。そしてそれを基に専門とする科目へ進んでいく。そういう風に考えて不思議はないが、それには「?」がつく。実際にはそうでもないようであるが実体は「?」である。杉田玄白や前野良沢がオランダ語の著書「ターヘル・アナトミア」を「解体新書」と訳して著した頃の医師は解剖学に目を見張り、蘭方医となることに夢を膨らませた人が相当にいたことであろう。その頃なら人間の骨格構造や人体図は珍しいものであり、解剖学への期待を抱かせるものが大きかったことと思うからである。

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問題と解答

「問題と解答」という語からどのようなイメージを描くだろうか。私はなぜか高校時代までの数学を思い浮かべてしまう。問題に対し正解は必ず一つある。それは中学校までの数学である。しかし高校時代の数学では「解なし」という場合も、「不定」という答えもありということを習った。そのあたりで問題に対して正解は一つという思いが変わってきた。また、受験に失敗して予備校に通った時のことである。数学のユニークで素晴らしい授業に魅かれた。「解法の探求」というその授業は、1時間で一つの問題をジックリといろいろな側面から考えるものだった。そして解に到達する方法を考えてその長短を示す。解に至る道は一つではなくいくつかあることを示し、そのうちから最も好ましい解法を見出すというスタイルだった。高校教育までは、問題は与えられるもの、解答はそれに対して作るもの、という方法のトレーニングが行われていた。それはそれで必要だな、と懐かしく思う。

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視座と融合

物を見て判断する立ち位置、それを視座という。同じ物を見たとしても視座が異なると異なる物に見える。富士山を描く画家は昔から多かったことと思う。富士山はどの位置から見ても同じように見える独立峰であるが、やはり視座によって描かれる山容は異なる。物を見る時、そして考える時、見たり考えたりしている視座が異なれば、同じ物も同じにはならないのである。

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交渉という語のイメージ

何事にも「上手」と「下手」はある。「上手」が高じると名人と称されるようになる。中には自称名人も出て来る。次のような経験をした。