土居弘元先生による交渉学Web講座

「関心」について

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

しかし、既に商品として流通していない品物、作品数が限定されている品物、あるいはひとつしか存在しない芸術品、等になるとお金に換えたい、換えてもよいと思う人が出てくる。それを欲しいと思う人に機械的に示し譲るシステムとしてオークションという行為がなされる。サザビーズは有名であるが、今ではインターネットでも行われている。

オークションの場合、競り落とした人が購入することになる。しかし競り落とした人の心には、「これだけの値段で購入してよかったのかな」という気が起こり「購入しない方が…」という思いが湧き起こることがある。これを「勝者の呪い(winner’s curse)」という。このオークションも交渉の一形態であり、普通の商品の売買の特殊な形態ということができる。これが成り立つのは人がある物に「関心」を持つからこそである。しかしこの場合、商品を出す側の目的は「お金」であり、買う側の対応もまた「お金」である。しかも買い手の方はその競合相手と値段のつり上げを競うのである。交渉とはいえ普通の形態とはチョッと異なるといえるかもしれない。オークションの場合は、仲介者として業者が第三者として存在するが、直接話し合いを行って合意を目指す形になるのが普通の交渉である。

「売り手」と「買い手」が行う交渉、これは最も一般的な交渉形態である。売り手はできる限り高い値段で売ろうとするし、買い手はできるだけ安く買おうとする。したがって、この一度だけの売り買いですべてが終わりであるなら、売り手は「できるだけ売るためにはどうすればよいのか」ということを考える。また、買い手は「できるだけ安く買うためにはどうすればよいのか」と考えるであろう。そのためにはどうすればよいのか、についての研究もなされている。しかし、この一度だけの話でなく、相互に信頼し合い、長期的につき合っていきたいという思いを抱くなら、この取引だけに賭けるのは好ましいことではない。長期的な関係を保持しようとするならよい関係を結ぶことである。そのためには相互の信頼の関係を保つことが関心の一つになるであろう。

そのような長期的視点から考えることとは別に、「この品物がなぜ欲しいのか」ということを考えている人の頭の中について考えてみよう。製作している製品の部品として最も好ましい物、と考えてその部品を購入しようとする業者は「部品の品質」について関心を持っているのだと思う。つまり「品質がよい」ということである。それは性能がよいということであったり、精度がキッチリとしていてバラツキが少ないことであったり、外観が優れていたり、と様々であると考えられる。そして、それらを総合的に見て評価するなら「金銭的に見てこれくらいが妥当」という線を出すのである。また、そのほかに数量についての考えが入ってくると「その数量の生産が可能か」、「納期は大丈夫か」という問題が出てくるであろう。しかし、これらはすべて買い手側の関心を示しているに過ぎない。

実際、交渉はハサミの両刃のようなものである。ハサミは両方の刃が動いてこそ紙や布が切れるのである。話し合いも相手方の関心を無視してはなかなかよい方向に動かないし、合意に至るのは難しいであろう。つまり、相手方の関心がどこにあるのかについても知る努力をしなければならない、ということである。当方が持つ関心と相手方が持つ関心、双方の関心が似かようものであることが双方の満足につながることである(つまりwin-winの道に通じることなのである)。自分の関心については十分に把握することが可能である。しかし相手方の関心事項はどのようなものであるのかについて知ることは難しい。面と向かって直接聞くことができるなら、それを試みるのがよいであろう。しかしそれが難しい局面は多いと思われる。それなら、関連する質問をしたり、関連する情報を収集したりすることから、相手方の関心事項を推測するしかない。当方の思いを強調することだけから話を進め、相手方の関心がどのようなところにあるのかを忘れては「信頼を構築」して長期的な視点で取引を続けることは難しいと思われる。また、今回一度だけの交渉であっても、この問題に関して相手方がどのような関心を持っているかを知っていることでスムーズな話し合いにつなげることが可能となる。「私の関心」について考え、そして「あなたの関心」についても考えること。これが交渉では重要である。

交渉の文献を日本語にするとき、interestsについて「利害」という日本語が当てられることが多い。この用語にチョッと違和感を持った筆者は米国の監査法人に勤務する知人に「関心」と「利害」のどちらの方が好ましいのだろうかと尋ねたことがある。完全なバイリンガルであるその人は、次のように語った。「交渉が取り合いならプラスと考えた方が『利』であり、マイナスと考えた方が『害』と考えられる。一般性を持たせるなら『関心』でいいじゃないですか」と。それ以来、筆者は関心とか関心事項という語を用いている。ただ、利益という訳語を使っている書を見かけた。それを読んだ人から「よくわからない」という質問を受けた。その時「関心」と置き換えることを勧めたら「納得」という返答を得た。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

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北東に進路をとれ

「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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FOTEについて

理論を構築しようとするとき、直面している現実にだけ目を向けて対象とするものを描写するのは適切ではない。特に社会現象に関する場合は、「どのような前提に立って論理を組み立てるのか」を明確にしておかなければならない。そうでないと、その論理の展開と現実の違いが認識できず、論理を否定することの危うさが生じる。

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「交渉学原論」について思う

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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「関心」について

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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天動説と地動説

天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。