天動説と地動説
NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元
天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。
人間の歴史の上でも、人間行動すら天動説的にあるいは地動説的にとられることが多かった。しかし現代社会ではどちらも極端な行動であり、好意的に見られることは多くはないだろう。
自分の思いどおりになって欲しいという願いを持って行動する人は多い。しかし、その願いどおりに事が叶えられるということは現実には難しい。それは願いの内容によっても異なることであるが、「先のことは霧の中」という不確実性の要因もあるからだ。意思決定ということを考えるとき、その決定をする人は「こうあって欲しい」という願望を込めて代替案や選択肢のなかから1つを選び出す。意思決定論でよく説明に用いられる農業経営者のケースで、経営者が代替案からどれを選び出すかを考える条件として「自然の状態」が用いられる。「自然の状態」つまり相手とするのはお天気で、暑さ寒さといった気象の状態である。この場合、意思決定者が何を植え付けるかの決定は、考えられるお天気の状態を考慮して決められる、という形で説明される。
あるいは、鉱山会社が地下資源掘削を行う場合も、地質状況を調べて地下資源開発の問題を考えることの説明に用いられる。「地形がこのような状況であるから石油が存在する確率は◯%である」という形で地形図を基にして行われると説明される。このような自然を対象にして人が意思決定をする場合の論理は天動説に近い考え方で作られているように思われ、それが当然と捉えられる。しかし、次のように考えると必ずしも天動説的ではないように思われてくるのである。
大量に質の良い農産物を作っている農業経営者が天候・気象のことを気にするのは当然である。しかし本当に重視するのは、農業者が手をつけることができない自然の状態だけなのだろうか。実際に重視するのはそこから先の天候以外の、作付けする作物の種子の選択、それを作付けする土地の地質と肥料、および水回りの相性、等である。それらのことにすべての思考を注ぎ込んで、その対策を図ることこそがメインの意思決定である。つまり、周りの環境や土質を調査し、改良を図り、施肥を考え、それらについて種子と相談することが肝心であると捉えることもできる。そのような、人以外のものとの相談の下に行われる意思決定と考えるのである。対象が自然である場合においてもこのように考えると、自然と対話をしているのではないか、その対話によって意思決定がなされているのではないか、と思えてくるのである。
物事を地動説的に考えてしまい、何か絶対的なものに惹かれて自己が動くことも、現代の人間としては問題であると思う。意思決定という考えの基本は「決定をする主体」が自己の考えを大切にして、その思いをできるだけ実現することを目指し努力することである。その思いが反社会的であったり、それを行うことが法的にも倫理的にも許されないものであったりする場合は不適切であるが、そうでないなら主張することは必要であり、その考え方を理解してもらうことが肝心である。
これからの社会での人間行動は、天動説とか地動説とかのようにどこかの中心を目指すものではない。いずれか一方の動きに支配され、それに従うことでもない。話し合いをしながら相互に関係を深め、より良いものを構築していくことを目指す。そこに人間が社会生活をおくる上で理想とする意義があると考えるのだ。話し合いをするなら、それぞれの側が「自分はこう考えるのだ」という核となる考え方を持たなければならない。その核となる考えを基にして相互に主張し合い、それぞれが考えることを理解し合う努力をする。そのプロセスを通じて自己の考えの長所・利点を認識し、また短所・欠点を知ることができる。そこからさらに、相手の考え方の優れている点を見出し、それを加えることができないかどうかを考えて自己の考え方の修正を図る。
人間が考えることであるなら地動説・天動説といった大地自然の動きのような法則は必ずしも当てはまるものではない。構成している内容はそれぞれが考えたことであり、その考えは主観が核をなしているのである。しかし人間であることの良さは、考えるという面でも柔軟性が保たれていて、それを修正し、より良い・より好ましい方向へと行き先を変えることができる点にある。人間の行動であるから主観の排除はしにくいが、思い込みに固執しない態度でいることも重要である。
「この考え方こそ絶対に正しい」と、意見を主張し続ける態度は天動説的であるように感じられる。それぞれ人が自己の思いに固執するのは当然のことである。しかし「社会全体から見て」という発想や「置かれている状況に基づいて」という観点等も思慮して、考え方を変更し相手方に歩み寄る態度をとれることこそ好ましいとも考えられる。主張すべきことは主張し、聞くべきことは聞く。交渉はそこから始まり、話し合うことによって進展していき、より望ましい方へと進んでいく。こうなることが理想であると考えるのだが、皆さんはどう考えるだろうか。
土居 弘元氏
国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る
【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004
その他のレクチャー
土居弘元先生による交渉学Web講座
土居弘元先生による交渉学Web講座
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「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。