土居弘元先生による交渉学Web講座

交渉学のアナトミー

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

「アナトミー」、日本語で解剖学と言う。医学部の学生が最初に学ぶ必修科目であることは前回述べた。解剖学では人間の骨格、筋肉、神経系統、内臓、等がどのように構成されており、どのように関連して動くのかが示される。人の体格が大きいとか年齢が若いとか高齢であるとかには関係がない。また国籍にも人種にも関係なく「人間」を形作っている姿を示すものである。また、それを基にして眼科、循環器科、脳神経外科といった特定の領域の研究がされるのではないし、環境の変化と人間構造の関連が考えられることもない。解剖学を学ぶことで人間が持っている構造を捉えることができ、医学が対象とする枠組みを考えることができる。そのために学ぶのである。その観点から見て、医学に関連する人々が取り扱う対象領域はどのようなものかを限定して示すものであり、医学関連の人達にとって必須の科目になると言えるのであろう。

どのような学問領域にもこの解剖学に相当する領域が存在する。それを医学部の研究領域と区別する意味で「アナトミー」と呼ぶことにする。例を挙げてみよう。経済学のアナトミーは経済原論(マクロ経済学およびミクロ経済学)がそれに該当する。経営学では経営学原理と称する科目が経営学のアナトミーと言える。私はそう考えている。そのような考え方をすると、交渉学のアナトミーはどのようになるであろうか。それは「交渉はなぜ行われるのか」、あるいは「交渉とは何か」を考えることから導かれる。

(1) 交渉とは問題解決のための行為である(個が行う意思決定)

人と人との話し合いによって問題の解決を図ること、これを交渉に対する一般的な定義であるとしてみよう。これを字義どおり捉えるなら、人間社会のほとんどの関係は交渉において解決されているということである。実際、そう考えて間違いないように思う。家庭内でも勤務先でも、会社間でも国際間でも、相互の対話で事は進んでいる。「すみません、これをやってもらえませんか。」と依頼したとしよう。これに対して何らかの返事があれば、それは対話によって行われる交渉である。本人はそれを交渉と意識しているかどうかは別である。

明らかに交渉と思える行動はもとより、それとは気づかないような行動も、人間社会は交渉で動いていると言える。上位の者の命令一下で行動しなければならない社会では交渉が行われる余地はあまりない。しかし現代社会のほとんどの領域では命令一下で動くことは少ない。話し合いをして、その合意に基づいて行動がなされるのが普通である。ただ「交渉」という語が特別の意味を持っている、という思いが広く受け入れられ、意識されているため、身の周りは交渉によって動いているという考えは希薄になってしまっているのである。

そうは言っても、問題とすることが特別なものでない限り、ジックリと考えて解決策を練る必要はない。また、普通の生活の中では、相手と話し合って合意を求めなくても困ることはあまり起こらない。これではほとんどの行動が交渉であるという意識が生まれて来ることは難しい。しかし、日常の活動で繰り返されているのではない事柄が起こった時に、あるいは今まで考えていたものとは異なった事柄を思いついた時には、その問題解決を真剣に考えて行わなければならない。そして「その解決のためには相手がいて、その了承が必要である」ということが認識されたなら、その時には交渉をしなければならないという意識が生まれるのである。

このように交渉をするという行為は、問題解決をどのようにするかという意思決定を考えることから始まるのである。つまり「意思決定」に関して体系的で論理的な考え方をすることが交渉学のアナトミーになるのである。特に複雑で難しい問題に対して、グループとして、あるいは組織として解決に当たらなければならない場合が起こるし、組織的に対応することが求められる。その解決のためには組織内でまとまって、一枚岩的に対応しないと組織としての一体感が損なわれる。一体的な行動でなければ、相手方との話し合いで合意に至ったとしても、自己の組織に戻ってきて反対する人達のグループによって合意は無効とされる場合があり得る。そうならないためにも、組織内での合意を得る組織内交渉をしっかりとして一枚岩になっておくことが基本である。それをどう考えるのかが重要な一つの側面である。

(2) 意思決定したことを遂行する(テーブルを挟んでの話し合い)

たいていの意思決定はその実行に当たって個人で行うことは難しい。それに対応する相手方を見出して、その同意を求め協力してもらう必要があることがほとんどであると考えられる。そこで行われるのが、いわゆる「テーブルを挟んでの話し合い」である。これを上手く行い恊働して事を進めるという行動になるのである。その話し合いの場に提出されて話し合われる議題は、個が行った意思決定の結果として最も好ましいと考えられる代替案である。この提起された案をめぐって、どのように実行していくかについての話し合いが提案する側とそれに対応する側で行われる。対応する側は、提起された問題に対して「どのように対応するか」を考える意思決定が求められるのである。分配型交渉とか統合型交渉とかの理論はこのテーブルを挟んで行われる話し合いで問題解決をどう図るかの思い・態度を表す言葉である。

「交渉」という語はこのように相対して話し合いが持たれている場を指しているものとして受け止められている。話し合いの場は、提案する側とそれに対応する側の二者間で行うケースが中心になるが、多数者間で話し合いが持たれることもある。二者間で行う話し合いでは行き詰まってしまい、介在者としてミディエーターの活動に大きく依存することもある。一般にこの段階での活動が交渉行動として認識されている。

このような考えで、合意に至ることこそ交渉の目的であり、どのようにして合意形成を図るかが交渉理論であると考える人がいる。しかし、「問題となっている事を解決する方策としての合意」をするのであり、問題をどのように解決すればよいのかというプロセスを忘れてはならない。個の意思決定において問題をどのように解決するか、という方向が示されることから交渉は始まるという意識を持つことが肝要である。

このように、交渉学のアナトミーは上記の二面から成り立っている。一つは「個の意思決定、特に組織的な意思決定の理論」であり、もう一つは「二者間、多者間が行うテーブルを挟んでの話し合いの理論」である。この二つの理論は経済学のミクロ理論とマクロ理論のような関係である、と私は考えている。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

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「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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