土居弘元先生による交渉学Web講座

リーダー、時間、信頼

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

まず簡潔に10年間の経緯を綴ってみよう。マンションが売り出されたのは1988年、当時、日本経済はバブルの絶頂期であり、それに伴い住宅価格もかなり高騰していた。入居は1990年3月であった。応募はかなり多く、当選するのは無理かと思われていた(入居の前年12月にバブルは破裂していた)。

マンションは6棟で構成される団地にあり、それぞれの棟は形状が異なっていたし、近隣の街区を含めての設計も、棟の設計もコンペで行われたもので、当時はその斬新さが珍しがられたようである。私が住むことになった棟は10階建ての高層棟で、住戸はその6階にある。我が住戸にはほとんど問題はなかったが、「激しい雨の時には水漏れがする」という苦情が団地内ではあったようで、外部から壁面に水をかけて調査をしている姿も見かけられた。ただ、その調査結果について問題はあまりない、というように聞かされた。問題が起こったのは竣工後10年目に行われる大規模検査であった。

足場を組み、金網で外を囲い、外壁を軽くたたいて不具合を調査する過程で、数多くの瑕疵が見つかった。外壁調査後、このままではどうしようもない、と売り主との話し合いが行われることとなった。建物の形状が棟ごとに異なっていたし、建築会社も棟ごとに異なっていた。棟によっては強硬な意見が主流になり、外壁だけでなく内部からも調査すべきだと売り主に迫り、2年間の交渉でその棟は建て直すことに決定した。残る5棟は住民総会で売り主の誠意を期待して補修工事という線でまとまるかに見えた(因みに私の住んでいる棟も補修で済ますことになっていた)。しかし、その後になって「十分な瑕疵の検証もしない状況のなか補修で済ますのはいかがなものか」という主張が一住民からなされた。その人の主張は説得的であり、補修派の流れを押し戻してしまった。そして、「内部から壁紙をはがして削り(ハツリ)を行って、その結果を見て判断すべきではないか」という意見が多数派になった。今思うと、まずデータに基づいてという妥当な考え方である。そこで売り主は購入価格の70%で買い戻すという提案を行い、3割以上の住民がそれに応じて団地を去っていった。終息がいつになるか時間がどれ位かかるかの判断ができない、という考え方に基づいて去られたのであろうと推測している。その後、残る住民は仮移転をして、空き家となった5棟全戸について壁紙をはがして内部の削り検査が行われた。結果を見た住民は、単純に「補修でよいですよ」という状況ではないことを知らされたのである。

「鉄筋の本数が十分にはいっていない」というような姉歯事件のようなことはなかったが、外壁のコンクリートの被り厚さが十分出ない、鉄筋の結束が弱い、排煙ダストの穴の切り口を誤って2穴切っている、その結果として鉄筋束を切断している、等々があちこちに見られた。ここから住民の総意は「前棟建て替え」の要求になる。しかし、売り主は「補修で可能」という案を撤回しない。さらに、建築コンサルタントの助力を求めて徹底的なチェックをし、相互に弁護士を雇って月に一度の交渉に入るがお互いに譲る気はない。現在の建築技術は相当に進んでいて「ほとんどの建築物は補修が可能であり、補修で元に戻る」というのが売り主側の根拠である。結局、ミディエーターとして第三者に十分に削り等を行い、検査を行ってもらい、提示された結果に基づく意見で合意する、ということになった。ところが、中立な立場の第三者として誰を選ぶかになると相互に等距離の人を探すことの困難さに打ち当たることになった。結局、建築家協会のなかで適切な人を15人ほど相互に推薦して、その人たちの指導の下で削りを行い、鉄筋や鉄骨の検査を行う、ということになった。その検査には約1年間かかった。

第三者の出した結論は「補修で済ますことは可能である。しかし費用を考えると、補修は建て替えの2.5倍を要する」というものであった。その報告は売り主にとっては面白い結果でなかったようであるが、「住民が建て替え組合を作って自分で建て替えを行うならその資金は出す。また。建築の知識その他については適切なコンストラクション・マネジャー(CM)を紹介する」ということで合意が成立し、建て替えという段階に入った。元住戸と同じ設計で同様な設備に戻す、という条件である。

ここからは適切なCMを選んで、設計から建築会社を紹介してもらい、選択する。その後建築会社と契約して建設が始まる、という手順で事が進み、昨年の6月に戻り入居、そして建て替え組合の解散と進んで来たのである。かかった時間は10年、人生の後半で大きい時間であった。その間、誠実に住民を率いてくれた数人のリーダーの持つリーダーシップの素晴らしさを思う。また、病に侵されているのを承知で団地のあるべき姿を訴え、建て替えに向かうことを主張したリーダーの熱意にも打たれた。また、補修で済まそうという考えの人達が去った後の住民の一致結束と信頼関係の確立はそれなりに素晴らしいものであった、と当事者として思う。

これはグループの意思決定の問題解決であり、その解決は交渉によって行ったという事例を要約したものである。結果に至るまでに10年を要している(ビジネス的に考えるなら割に合わない解決であるといえるのであろうが、紛争解決ではこれくらいの時間を要するものはざらにある)。その10年という時間は社会にさまざまな変化をもたらした。まず建築に関して建築基準法の改正があった。それが元と同じ建物にという条件に合致しない影響を与えた。顕著なものはバリアフリー導入の要請、日影権の導入による高さの制限、空調の終日導入、等である。外観は同じようにできあがっても諸々の細かい変化が室内にももたらされた。時間は人に大きい影響を与える要因であることが実感させられた。また、グループで事を行うに当たっては「誰が中心になってまとめ上げていくか、どのように方向づけをするか」についての合意を確立することが必要である。データを集め、それに基づいて考え、方向を定めるべし。そう主張したリーダーがいたことは幸せであった。また、実行に当たって粘り強く主張し、それを支え続けた数人のグループが存在した。その人達の熱意はなかなか真似できるものではない。そのような事を考える時、「リーダー」のあり方、「信頼」関係の構築、から始めて意見のまとめ方までを含めて一丸となって進むことの重要性を痛感する。それら要因が持つベクトルの方向は1つである、ということを意識してグループの意思決定はなされなければならない。そのようなことを思いながら、解散総会の会場を後にして帰路についた。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

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交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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