土居弘元先生による交渉学Web講座

交渉学に思う

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。ただ、1時限70分の授業を縦に3時限(週に1回)、これを10週続けるというスタイルであったので講義だけでは学生がもたない。私も大変である。そこでロールプレイングやケース分析・討議を加えて、三方向の授業にした。教師から学生、学生から教師、学生間相互、これで三方向となる。お互いが刺激し合うという意味でよい方法であったな、と今では思い返している。

その頃から交渉は「学問」として体系的に考えられることが望ましいのではないかと考え始めていたし、今でも考えている。いろいろな学者が自己の考える方法を交渉の対象として論じているため、諸々の考えに基づく理論が創られている。対象が「交渉」であるから、どのようなアプローチであっても有効な方法こそ望ましいと考えるのであろう。本来は社会の中で行われているさまざまな交渉行動のうち、上手くいき成果を挙げたものを書き留めておくことから始まったのが交渉研究だったように思う。経済学が実際の財政担当者の行った成功例を書き留めたこと、それを体系的に考えていき論理的にまとめて国富論ができあがった。徐々に理論的な方法で書き改められ、さらに研究が進められて現在の経済学になり、経済原論とか経済学原理と呼ばれるような形が成立した。交渉学もこのような形で交渉学原論と呼ばれるようなものができることはないのだろうか、そのような思いを持ち続けてきたのである。

交渉学はどのように進展して来たのかを私なりの経験に絡めてまとめてみよう。大きい貢献をしたのはハーバードにあるPONである。ここでの成果が徐々に広まっていった。

交渉に関する書でほとんどの人が勧めるのはフィッシャー、ユーリー、パットン三氏の著になる『ハーバード流交渉術』である。私はこの本から入った。訳書のタイトルである『ハーバード流』という言葉に魅かれて手に取った人が多いことと思う。交渉とはどのようなものかを理解し、どのような論理が組み込まれているかの初歩を理解させる名著といえよう。割合に小さい判の書であったから鞄の片隅に携行することが楽だったからでもあろう。随分と多くの読者を得たし、海外でも数多くの国で翻訳されて出版された。今では古典といえる存在である(因みに原著のタイトルは“Getting to Yes”であり、「Yes に到達する」という意味である。その後に続くハーバード大の交渉研究者が出版する本は「ハーバード流」というタイトルを冠に付ける。例外もあるが、そうするとよく売れるようである)。

ライファ先生の“Art & Science of Negotiation”は内容がいくぶん数学に傾いていたからであろう。日本語に訳されなかったようである。決定分析という領域を開発された先生はウィーンのIIASA(国際応用システム分析研究所) の初代所長を退任されてハーバード・ビジネス・スクールに帰り、交渉のコースの担当をされ、そのテキストとして書かれたのが Art &Scienceである。この著書を評して一橋大の大成教授は「この本なら横になって寝転んで読んでも解る」とおっしゃっていたが、それほどやさしいものではないと私は思っている(大成教授はゲーム理論の数理を研究されていた)。1980年に出版されたこの書は2003年にライファ先生と2人の関係者によって改訂され “Negotiation Analysis”というタイトルで出版された。副題は Science & Art of Negotiation と付けられており、交渉学原論を目指して書かれたのかな、という気がする。ただゲーム理論の雰囲気が前著より強くなっている。

2003年5月下旬にライファ先生の80歳の誕生日をお祝いして交渉学に関するカンファレンスがハーバード・ビジネス・スクールで開催された。希望者は参加自由とのことであったので申し込んでボストンに出かけていった。そのカンファレンスではムヌーキン、ベイザーマン、サスカインド、セベニウス、の4名の大家がご自身の最近の研究を報告された。それぞれの研究指向を話され、それぞれに面白さを感じた。その中に、交渉学の原論の可能性はないかな、という思いをしながら聴講させてもらった。

その後、1週間程ボストンの隣町ケンブリッジに滞在し、ベイザーマン、メアリー・ロー、サスカインド、の3人の先生方にそれぞれ1時間程の時間を作っていただき、お考えを伺った。「どのような交渉教育の方法が好ましいのか」「交渉学を始めるに当たって、どんな文献を読めばよいと考えておられるのか」等々についてである。彼らの答えを通じて交渉教育はどのような方法で進めるのが好ましいのか、について考えてみたかったのである。

サスカインド先生の研究室を辞す時、「日本から来ている学生に会ってみないか」と紹介されたのが松浦正浩先生である。先生は現在東京大学公共政策大学院で交渉学を担当されておられる。お会いした頃はMITの博士課程に在学中で、サスカインド先生の下で研究をしておられ、Ph. D. の最終面接に備えておられる頃だったのではないか、と思う。大学キャンパスにさわやかな5月の風が吹き、木々の緑が目にまばゆい季節であった。ほかにもセベニウス、ワトキンスの両先生にもお会いしたいと願っていたが、セベニウス先生にはアポが取れず、ワトキンス先生はその年の3月、教授へのプロモーションが上手くいかず、ボストンを去っておられた。

これらの先生にはそのご著者や研究ノートを通じて交渉学の内容に関しての影響を多大に受けて心から感謝している。「交渉はテーブルに着いてから行われるもの」という既成概念で固まっていた私に対して、「3D交渉」という考え方を示してくださったのがセベニウス先生である。テーブルから離れて考えることの重要性を示していただいたのである。それはハーバード流3D交渉術として翻訳されている。この考え方で交渉が考えられるなら、教育方法として既存のロールプレイングという考え方の一部が崩れると考えることもできる(すべて3Dで考える必要もないのであるが…)。

ワトキンス先生は、その著書“Breakthrough Business Negotiation”を翻訳するに当たって何度かメールさせていただきやり取りをした。幸いOKをいただき、『ビジネス交渉術』というタイトルでご著書を訳して出版することができた(監訳者は藤田忠先生で中国からの留学生が参加した)。ワトキンス先生はハーバード・ビジネス・スクールの准教授をしておられたので、この著も「ハーバード流」を付けておけばもっと売れたのではないかなと、今でも残念に思っている。理論面をやさしく説明し、事例に関連した解説を付けて書かれたよい本である。

さまざまな先生の影響を受けながら交渉について考えを続けている現在、課題は「交渉学原論をどう考えるか」ということである。これについてはまた改めて述べることにしたい。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

その他のレクチャー

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北東に進路をとれ

「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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FOTEについて

理論を構築しようとするとき、直面している現実にだけ目を向けて対象とするものを描写するのは適切ではない。特に社会現象に関する場合は、「どのような前提に立って論理を組み立てるのか」を明確にしておかなければならない。そうでないと、その論理の展開と現実の違いが認識できず、論理を否定することの危うさが生じる。

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「交渉学原論」について思う

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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「関心」について

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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天動説と地動説

天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。