土居弘元先生による交渉学Web講座

鳥瞰図を描く

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

実際、小高い丘に登り、そこから町を見渡せば「家並みはどうなっているか」が分かり、「あの煙突はどこの工場のものか」が把握できる。もう少し高い城跡から見下ろすと町全体のことが一望でき、どのような町作りがなされているかがはっきりとする。全体像なら地図を見ればよいのだろうが、地図はさまざまな場所が記号化されている。地図を一瞥して実際の姿をイメージ化するのは、相当に現実の場所を知らないと困難である。そういう点から考えても、物事を鳥瞰して見ることの意味は大きいと思える。

「にっぽん百名山」というBS放送のテレビ番組がある。毎回ガイドさんに導かれて百名山の1つに登る番組である。どのようなルートで登頂するのかを3次元図で示し、厳しい上り坂や岩場の位置を明らかにし、この区間は沢を登り、ここから稜線を歩く、といったことを立体図に沿って解説していく。どのような形で進んでいくのかをイメージとして描くことが可能であり、立体図で描くことの良さを示しているなと感心する。平面で描かれた地図からはその感覚を得ることは難しく、立体化に戻すには相当な慣れが求められることであろう。鳥の目で物を見る、ということの素晴らしさであると思う。

交渉理論として「3D交渉」が関心を集めている。ラックス・セベニウスの両氏が提唱した考え方である。この理論の基本は鳥瞰図にあり、「鳥瞰に沿って計画をする」ことの重要さを述べているものではないだろうか、と考えている。鳥瞰図は現実にある地形、風景、事象、などを「鳥の目に映るとこうなるであろう」という姿として表現した図である。この考え方を逆転させて、計画作成に利用する。それが3D交渉の眼目であると考える。地図として考えるなら頂上を設定して、それに向かってどのように進んでいけばよいのかを明確にする。また、その道を進むとどのような困難な場所が出てくるかも想定できる。それを回避するにはどうすればよいのか、等々を考える。これを体系的に行うことで目標に至るルートが確定する、というアイディアである。したがってどのような計画策定のプランにも適用可能なものであると思う。それを単純化すると次のようなプロセスになり、それを描くことをマッピングと呼ぶ。

(1)目標を設定する
(2)出発地点はどこか(どうなっているのか)を確定する
(3)目標に至るルートをどのようにするかを考える

これが基本であるが、この手順はどのような計画でも当てはまることである。目標を設定する、これは目的に沿って到達点を設定することである。その目標があまりにも高遠であるならそこに至る前に到達すべき点を設定し、そこに到達できた時点で続いての目標を設定することである(対象が自然でないことの違いが個々にある)。

計画は、現時点で置かれている状況がどのようなものであるかということを認識し、出発点から到達点に至るルートをどのようにするかを考えることである。登山でいうなら登山口から山頂までどのようなルートをとって登るかを考えるのである。計画して進む登山ルートは平坦ではなく、いろいろな難所が考えられる。ほかの計画でも同じで、このまま進んでいくと資金的に困難に陥りそうな場面に遭遇しそうである、と考えられる場合もある。その時はどのような資金調達を図るのか、あるいは協力を求めるのか。途中でライバルが参入して来たなら競争状況が激変しそうである。その時はどのような手を打たなければならないか。進んでいって遅れが出たときはどのような対応をしなければならないか、等々。ルートで想定されることを描いておくことである。これは登山地図の沢や岩場、稜線といったものに例えることができる。そして、このマッピングをして交渉する手順を考えようという行き方が3D交渉という概念である。

最初に描いた計画図が相手方の対応でどのような取り扱いをされたかがはっきりとする。相手方の考えがこちらの考えることより大きいものであると判断できるなら、交渉に当たって考えるフレームはもっと広い範囲で描き直すことが必要となる。そうするとマップの中に描き込まれるものも変わってくるし、さまざまな修正が求められる。ここが現実の自然を描いた地図と、計画を地図として描いた図との違いである。交渉する相手方の対応に応じて、当方の意思決定フレームを変更することになるのである。出発点は変わらない。目標も同じである。しかし、それをどこから眺めるかという視点、どれ位の時間や使うことができる資金の量、そしてこの問題解決でどのような価値が達成できるのか、といったことは変更が求められる。土台を変更することでルート自体の変更も行われることになることがあり得る。それによって途中で考えられる障壁を克服する方法も見出しやすくなるし対応もしやすくなる。

行動の鳥瞰図を描くことでより良い意思決定が可能となることを示す、ユニークな考え方。それが3Dであり、それを交渉という意思決定論の中で示したものが3D交渉理論である。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

その他のレクチャー

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北東に進路をとれ

「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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FOTEについて

理論を構築しようとするとき、直面している現実にだけ目を向けて対象とするものを描写するのは適切ではない。特に社会現象に関する場合は、「どのような前提に立って論理を組み立てるのか」を明確にしておかなければならない。そうでないと、その論理の展開と現実の違いが認識できず、論理を否定することの危うさが生じる。

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「交渉学原論」について思う

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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「関心」について

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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天動説と地動説

天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。