視座と融合
NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元
物を見て判断する立ち位置、それを視座という。同じ物を見たとしても視座が異なると異なる物に見える。富士山を描く画家は昔から多かったことと思う。富士山はどの位置から見ても同じように見える独立峰であるが、やはり視座によって描かれる山容は異なる。物を見る時、そして考える時、見たり考えたりしている視座が異なれば、同じ物も同じにはならないのである。
例えば「競争」について考えてみよう。競争という語がポピュラーな学術の領域は経済学である。経済学では「競争が行われることこそ善である」と説かれる。そして、競争が行われるのは業界内であると考える。経済学で競争を見る視座は第三者として眺めるという立場に置かれており、経済活動の中に置かれている企業経営の任に当たる経営者のものではない。また、経済学では今でもその根底に「レッセフェール」の考えが支配している。経営学は「組織体の設計とその運営を考える」という視座から創られている。企業経営という形で経営学を捉えるなら「競争」は企業経営者の立場から眺めて分析される。そこで有名なマイケル・ポーターの「競争の5つの要因」という考え方が生まれて来る。しかも経営者は企業という組織の中にいて、そこから外を眺めて競争を見て考える、という観点から分析されている(その違いをチェックして実感してもらいたいと思います)。視座が異なれば対象が同じであっても考え方は異なるのである。
視座を異にすると見つめる物は異なってくる。機械工学の研究者は精巧な製品が製作できる機械を創りたいと思うであろう。実際、人の創造力は素晴らしく、相当に精密な製品を創造できる。しかし、その域に達するのは相当な時間と努力を要するものである。エレクトロニクスの研究者は人の行動をコンピュータの利用に置き換える方法の模索をする。それによって人の創造力に近いところまでコンピュータ利用で物作りをする機械の開発に成功した。機械工学とエレクトロニクスの協創によって現在の工作機械が普及し、新興国の産業発展がもたらされたといっても過言ではない。
このように異なる領域の物が視座を異にし、見つめる物が異なっていても、何らかのきっかけで協創が行われる。これを融合という。融合は面白い物を創り出す。ジャズ・サックス奏者の渡辺貞男さんはアフリカに行った時、現地の音楽家と共演し、ジャズとは異なった面白い音楽を創造した、と語っていた。それを彼はフュージョンと呼んでいた。フュージョンすることによって今までになかった新たな音楽が生まれたのである。このフュージョンこそいろいろな領域で考えられるものである。また考えていかなければならないものであろう。
いま医学の領域では臓器をつくるために様々な試みが行われている。山中先生のiPS細胞を利用する再生医療、これから始まるであろうSTAP細胞の成果を利用する研究、等はすべて医学界だけの研究ではなく工学領域の研究との協創が必要である。また、それは同時に社会科学の領域もいかに生きるかという哲学の領域も含んだ研究へと広がって行くべきものである、と考える。
「見方をどのように捉えるか」はそれぞれの専門性が問われるものである。しかし、専門を異にする視座から眺めると異なった姿の物として見えてくる。この考え方が重要である。医学や工学とは関係ないと思われる人でも、置かれる立場それぞれの視座で物を見ている。同じマーケティングの部署にいても「流通部門」と「製品開発」の部門では「新製品」にかかわる見方は異なるのではないだろうか。そうであるなら製品開発と流通が合同で両者の持つアイディアを出し合い努力して行く道が考えられる。それで終わってしまえば、それは作る側・売る側の考えで創り出された物である。大事なことは「それを使う側」の視座をどう組み込むかである。
たいていの人は自分の持つ論理に対しては一所懸命な力を注ぐ。しかし、重要なのは「それを使う人はどう考えるのであろうか」という考えを盛り込むことである。使う人がいて、それを好ましいと思い使ってみたいと思ってこそ「良い品」として人から求められるのである。
交渉においても同様である。自己の「関心」から問題解決を図ろうとする。そのことは悪いことではない。しかし、そのために「相手方はどのような関心を持っているのか」を忘れがちになる。「どのような視座で物を見るか」、これはそれぞれの人が置かれている立場、またはそれらの人々がたどって来た経歴で推測できる。同様に、相手方は「どのような視座で物を見ているのか、考えているのか」について考えを馳せてみることを忘れてはならない。
土居 弘元氏
国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る
【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004
その他のレクチャー
土居弘元先生による交渉学Web講座
土居弘元先生による交渉学Web講座
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「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。