土居弘元先生による交渉学Web講座

「主観である」ことが

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

NHKは「にっぽん百名山」という番組を放映している。毎回、百名山のうちの一つの山に、ガイドさんに導かれて登頂していく姿を見せる、という番組である。登山口から登頂を始め、途中の風景や花・木々を見せ、頂上に至るまでが示される。私は山好きではあるが、実際に登るのは困難な体力なので番組を見て楽しんでいる。この「日本百名山」という言葉は一般に日常的に使われているようだが、実際は深田久弥という作家が自分の経験によって選択し、エッセイとしてまとめた作品を基に命名したことに由来する(その作品が発表されて今年で50年目だそうである)。品格・歴史・個性を兼ね備え、かつ原則として標高1500メートル以上で、深田氏本人が登頂した山から選択したとのことである。したがって深田久弥氏が自己の基準で選択した「素晴らしいと考える日本の百の山」ということである。しかし百名山といえばこの作品に載せられた山に限られるようであり、今の日本では「これらが百の素晴らしい山々です」という受け止められ方をしているようである。これは主観的な発言が客観化した例ではないかと私は考えている。山に対して特別な思いを持っている人の中には、「この中には選ばれていないがこの山よりはこの方が品格も個性もあるし、歴史もあるのだが…」と思っている人がいるかもしれない(現在の百名山ブームから考えて、101番目の山は1番違いの不運を嘆いているのではないかと思ってしまう。また、その地元の人達は1番の差で現在の観光ブームに乗ることができずに残念、という思いを抱いているかもしれない。尤も、心ない登山客が多いので、ヒッソリと優雅に佇む山容を見せて、その山自身は自らを誇っているのかもしれないが)。

判断の基準が主観的であっても、人間行動はその人の主観に基づいているのであるからそれは是とするしかない。客観的に計測されている数値を見て、それが好ましいかどうかは、それを見て判断する人の心のなかにある基準次第である。いわゆる満足水準という言葉で表現されるものである。人の意思決定は客観的な数値だけに基づいて行われることではない。すべてが客観的な数値で表現したり明示したりできるものでもないからである。

「総合的に考えて、これで良いのではないかと思うのだがどうだろうか」と問われて、「チョッとこのあたりの点はもう少し検討してはどうでしょうか」という意見が出されたとしよう。もう一度考えてみて、何らかの変更が行われ、多数が認めるならそれでOKが出る。感情も含めた判断に基づく人間の行動はこのような形で進められていくのではないだろうか。そう考えてみると、身の周りはほとんどすべて主観的な判断で動いていることに気がつく。自己の判断で客観的と思える行動も、それはその人個人の基準に基づく判断である。ほかの人から見ると「何を考えているの、自分勝手に考えて」と思われることもある。この辺りにグループや組織で行う意思決定、それに基づく交渉での食い違いが起こる原因があるのであろう。

よく「一枚岩になる」ということが言われるが、それは考えるほど易しいことではない。20年ほど前の自民党ではいろいろな派閥が独自の活動をしていた。その中で竹下派(現在の平成研究会)は一枚岩であることの結束力を誇っていた。その鉄の結束力を人は「一致団結・箱弁当」と称していた。しかし、その強固な組織もチョッとした人間関係のもつれで亀裂を生じ分裂へと進んでいった。相当に強い力の持ち主のリーダーシップでもいつまでも一枚岩でいることは難しい。その例をここに見るのである。

組織内・グループ内の考え方を一つに方向付けるやり方を一人の人間のリーダーシップに任せるのは難しい。参加者の思っていることを忌憚なく述べ合い、そのなかから好ましい考え方を探り出すことを考え、主観を組織内客観化しなければならないからである。それを可能にする一つの方法がブレーンストーミングである。この場合も、単に考え方を述べるブレーンストーミングでは方向付けを考えることなく行うことになってしまう。まずはどのような方向を目指して進むのかを考えることから始める必要がある。参加者が考えを述べ合い、グループ・組織が向かう方向を描くことから始めるのである。そこで行われるのが「価値焦点思考によるブレーンストーミング」である。これによって「価値の木」を描き、どのような方向を目指すかが提示される。それを基にして個々が考える目的とそれを達成する行き先である目標を出し合い議論を交わす。相手の批判をすることはせずに、である。迂遠な方法ではあるが、これによって「自分の考えを述べることができる」し、「メンバーの考えを知ることができる」のである。「三人寄れば文殊の知恵」の現代版である。それを行うことで、同じ方向に向かって進んでいくように見えても目標とする所は異なっている、ということの相互理解ができる。そして一つにまとめていくことが可能になる。主観の組織内客観化を行うのである。

「主観で動く対象をいかに組織として客観化し、一つの像として示せばよいのか」。これを行うことが、組織として交渉に臨む第一歩である。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

その他のレクチャー

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北東に進路をとれ

「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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FOTEについて

理論を構築しようとするとき、直面している現実にだけ目を向けて対象とするものを描写するのは適切ではない。特に社会現象に関する場合は、「どのような前提に立って論理を組み立てるのか」を明確にしておかなければならない。そうでないと、その論理の展開と現実の違いが認識できず、論理を否定することの危うさが生じる。

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「交渉学原論」について思う

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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「関心」について

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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天動説と地動説

天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。