土居弘元先生による交渉学Web講座

「交渉学原論」について思う

NPO法人日本交渉協会副理事長 土居弘元

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

これらの原論、原理はその領域の核となる論理を設定し、その前提の下で理論が展開されている。したがって、それを現実に生の形で応用しようとしても無理だなと思われることが多い。その事を以て「原論は無用だ」という声も聞こえる。しかし原論はその科目の核心となる論理を抽象して表したものであり、純粋に示された論理である。その前提は「もしもこのような人が、このような環境で、このように行動したら、その結果はこうなるであろう」というプロセスを示すものである。実際には、その論理を取り巻く環境はさまざまであり、純粋な論理が、実際の社会で論理どおりに動くものではない。経済学の領域の例をとってみれば、国によって考え方も行動も異なっている。そのことを踏まえて「アメリカ経済論」とか「ドイツ経営学」という現実を捉えた科目が開講されるのである。原論が現実そのものを表しているものではないからといって、無用というわけではない(そう考える人は多いのではないだろうか)。むしろ現実を説明するためには、周りの環境次第で現実はこのように動くのだという論理が必要である。その論理を示すものが原論と呼ばれるものなのだと考える。

交渉が「交渉学」として存在するためには、当然そのような交渉学原論が必要で、それが求められる。原論は、ただ単に目の前で行う交渉に対していかにして有利な合意を得るかを考えるための手法となる方法を示すものではないことは自明である。環境をどのように把握し、そのなかでどのように目標達成を考えていかなければならないか、を示す指針を作るために必要なのである。交渉が「交渉学」として考えられ、理論が展開され、それを基に発展させていくために交渉学原論としてどう考えればよいのか。それを示す私の考えを簡潔に示してみたい。

原論とは
原論では主題とする科学のあるべき像を描く。それがどのような要因で構成されていて、どのように機能しているかが明示される。それを通じて何を行うのかがはっきりする。それは現実から遊離した像になっているのが一般的である。しかし、現実には描かれる像を取り巻く環境がある。それは国、企業、業界、といった個々の文化から構成されている。それぞれの文化が持っている風土や特色によって、原論が持っている像はさまざまに描き直され、修正されることが求められる。それでも原論となる部分は存在するのである。その像となるものは、それぞれの科目が定義することによって決まってくる。

交渉の定義
交渉とは「1人(一個人、1グループ、一組織)で問題の解決ができず、他の1人以上の人と協働することによって解決を図ることである」、このように定義する。これは意思決定論の考えに依拠し、それに話し合うという局面を付け加えて考えているものである。問題が起こったなら、この問題解決をいかに行うか。また、他者との協働が必要ならどう対応するか。そしてどのように合意を求めるか。合意をしたなら、それをどのようにして実行に移していくかを考える。この全プロセスを交渉と考えるのである。

交渉のプロセス
①問題の発生→②問題を解決する案を考え出す→③個で問題解決できない場合にBに協力・協働を求める。このプロセスが交渉である。それは2つの局面から構成されている。

第1局面
①問題の発生、問題の発見 → ②解決案の創出
これを「交渉における意思決定の局面」という。問題が発生した場合、あるいは発見した場合、それをどのように解決するか。それは解決する人の価値観に基づいて導き出す関心事項によって決まる。その関心事項から目的が考えられ、それに基づいて目標を設定する。次いで、その目標を達成するための方策としての代替案を何案か考え出す。そのなかから最も好ましい案、つまり目標に近づける案を選出して、それをどう実行するかを考える。これは規範的意思決定の考え方に沿った方法であるが、ここに行動学的な意思決定理論の成果を用いることが重要である。それぞれが置かれている環境、ものの考え方、などを考慮して問題解決プロセスに独自の修正を加え、現実的な実行案を考える。意思決定の理論は論理的思考の側面と、心理的思考の側面から考えることが重要である。

しかし、実行に当たって個でできることは限定される。資金や資源の不足、技術の面での限界、特許による制約、等々がある。さらにはマーケティング能力の差、など個で乗り越えるのが難しいバリアもさまざまに考えられる。また自己が保有していないがどうしても欲しい物がある場合もある。その差を埋めるために協働してもらえるBを見出し、話し合うことになる。この話し合いを通じて解決策の実行を目指すことになる。Bもそれによって得るものがあると考えられるなら、応じてくる。このようにして合意を求めた行動をする。これが交渉である。
AとBの二者が交渉する場合2つのケースが考えられる。
(1)AとBの両者が協働して問題を見つけ出し、協働してその解決を考える。個人的にはこのようなケースはあり得るが、それぞれのパーティーがグループや組織になると実際に起こるのは稀である。
(2)Aが問題を提起して、その問題解決策を考えた。それを実行するに当たって、Aは個で実行することができない。その時、Bに対して協力・協働を願い問題の解決を図る。一般にイメージとして描く交渉はこのタイプである。
交渉はこのようなどちらかのケースで進められる。

第2局面
②解決案の創出 → ③話し合いによる協働の解決
このプロセスで行われる行為が一般に交渉といわれるものである。「交渉における話し合いのプロセスである」基本的にはAとBが向き合って話し合いを行い、合意を得る方向を目指すという形をとることである。(実際にはテーブルを挟んで話し合うという形になるとは限らない)その時には、相互が持つ価値観に基づく関心事項をどれくらい満たすことができるかを基にやり取りが行われる。お互いが描いている目標がどれくらい満たされるのかが問われることである。ここでは諸々の行動学的な考察がなされなければならない。ここでの決定水準は「最適」でなく「満足」である、と考えてよい。

話し合いの結果、合意に至ったならそれを実行して目標達成に努めることになる。ここで、分配型交渉なら決定どおりに分け合えばよいのであるが、統合型交渉の場合は実行の結果は時間がかなり経過した後に見られるのが普通である。その時にその成果をどうするかを考えておくことも重要である(成果の分配について事前に話し合いをしておくことも考慮することが必要である)。ここではコミュニケーションが重要な役割を担い、説得についての技術も求められる。合意に至る道を模索し、見出すことが肝心である。この局面でも論理的思考と心理的思考の両面から考えなければならない。

この2つの局面を以て「交渉学原論」という。交渉学原論について筆者はこのような構成から成るものであると考えている。「取引の交渉」と「紛争解決の交渉」、交渉はこのように二分して考える方法が一般にとられる。しかし、問題を発見し、それを協働して話し合いで解決すると考えるなら、大きく考えるなら両者は同じである、といえるのではないだろうか。また、どのような領域へ応用するのであっても、原論で描く像をその環境の下で展開して問題解決へと導こうとするのは同じである。そうであるなら、原論の考えがベースとして敷かれていなければならない。すべては原論から始まる、といえるのではないだろうか。

土居 弘元氏

国際基督教大学 名誉教授
特定非営利活動法人 日本交渉協会副理事長
1966.3 慶応義塾大学経済学部卒業
1968.3 慶応義塾大学大学院商学研究科修士課程修了
1971.3 慶応義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学
1971.4 名古屋商科大学商学部専任講師から助教授、教授へ
1983.4 杏林大学社会科学部教授
1990.4 国際基督教大学教養学部教授(社会科学科所属)
1995.4 教養学部における一般教育科目として交渉行動を担当
2007.3 国際基督教大学を定年退職(名誉教授)
2007.4 関東学園大学経済学部教授 現在に至る

【著書・論文 】
『企業戦略策定のロジック』中央経済社2002
「価値の木分析と交渉問題」“Japan Negotiation Journal”Vol.2 1991
「交渉理論における決定分析の役割」“Japan Negotiation Journal”Vol.16 2004

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北東に進路をとれ

「北北西に進路をとれ」(North by Northwest) はヒッチコック監督作品の映画で。とうもろこし畑の中を、防虫剤散布用の軽飛行機による追跡を逃れて逃げ回るシーンや、ラシュモアにある4人の大統領の顔が刻まれた岩壁を滑り落ちそうになるシーンが思い出される。

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FOTEについて

理論を構築しようとするとき、直面している現実にだけ目を向けて対象とするものを描写するのは適切ではない。特に社会現象に関する場合は、「どのような前提に立って論理を組み立てるのか」を明確にしておかなければならない。そうでないと、その論理の展開と現実の違いが認識できず、論理を否定することの危うさが生じる。

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「交渉学原論」について思う

社会科学といわれる諸科学では、その科学の基礎となる論理を示す原論と言われる科目が講じられている。経済学原論とか経営学原理、会計学原理、マーケティング原理、等々といった科目がそれで、これらは経済学部、商学部、経営学部では必修科目であり、学生時代に受講した経験をお持ちの方も多いことだと思う。

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リーダー、時間、信頼

2月末日、私が住むマンションの建て替え組合の解散総会が行われた。2014年6月に、10年ぶりに元住戸に引っ越しをすることができたため、住民が作っていた建て替え組合を解散することになったのである。建て替えに至った経緯、時間の流れ、多数住民のいるマンション、それは長期の交渉となり、面白い事例である。しかし、詳細に語ることは禁じられているため難しい。ただ、そこに至る人の考え、10年にわたる時間の流れという要因、代表となる人の熱意、住民間に築き上げられた信頼関係とその維持、等々、これらは交渉を考える時に重要な要因であるとしみじみ思うので語ってみたい。

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交渉学に思う

交渉を専門の授業科目として作り、担当したのは1998年だったと記憶している。経営学の領域で上級の科目にして、タイトルは「交渉行動と意思決定」とした。その頃まで研究の中心は決定分析であったのでいくらか違和感を覚えたが、ライファ先生の著書“Art & Science of Negotiation”を読みながら決定分析が交渉に適合できることを確認し教材を考えた。

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win-winという考え

「交渉とは相手方からできるだけ多くの物を得ることである」と考える人が多いのではないかと思う。
「交渉行動と意思決定」という授業を担当していた頃、第1回目に行うロールプレイングは「マウンテンバイク」であった。これは、引っ越ししなければならなくなった高校生が、愛車である中古のマウンテンバイクを売るという話である。大学2、3年生にとってはそれほど違和感を覚えるケースではない。そこで行われるやり取りと結果を見ていると、売り手は「できるだけ高く売りたい」という気持ち、買い手は「できるだけ安く買いたい」という気持ちに基づいて行動する学生が多かった。

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鳥瞰図を描く

民謡だと思うが次のような一節がある。
「高い山から谷底見れば、瓜や茄子の花盛り」

字義どおりに解釈すれば、「季節は夏、高い所に立って、そこから下の畑を見下ろしたなら、そこには瓜や茄子の花が咲いているのがよく見える」ということであろう。「鳥瞰する」ということの意味がよく理解できる一節だと思う。

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BATNA (Best No Deal Option)

交渉をして問題解決を図ろうとする人の目的は相手方と合意をすることにある。合意を目指しての人間行動を対象として展開するのが交渉理論である。しかし、合意に至ることができない交渉もまたいろいろとある。また、この条件では合意したくないという思いに至ることもある。そのような事態になると合意を避けて交渉のテーブルから去る、という手段がとられる。このテーブルから去るという行為を現実に行うのではなく、「こういう事態では合意することはできませんね」という態度を暗黙に示すことも交渉の技術である。その、ほかにも案を持っていますよという案を代替案(alternatives)といい、そのうちで合意案と満足度が近い最善のものをBATNAという。

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「主観である」ことが

人は客観的であるということを是とし、主観的であるということについては「個人的な意見に過ぎない」と思いがちである。客観的に示すことができる「長さ・重さ」のようなものは、対象を比較しどちらが大きいかというような検討をすることが可能である。しかし、客観的に示すことができない対象に対しても「これは好ましい」とか「これはどうもダメだな」という評価をするのが私たちの日常ではないかな、と私は思う。満足水準という考え方で判断するなら至極当然なことなのだから。ゆえに、主観を客観化することは大切なことなのである。

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「関心」について

人は「関心(interests)」を持つ物に対して目を向ける。何も関心がない物に対しては知らぬ顔をして通り過ぎる。関心が強くなると「欲しい」「手に入れたい」「自分の物にしたい」という気持ちが高じてくる。お金を出せば手に入れることができる物なら何とかして手に入れたい、という気持ちになってくる。高級品店が繁盛するのはこのような人が多いことの証である。

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行動科学

経済学の領域で「行動経済学」が広く認識され始めている。きっかけとなったのは2002年にノーベル経済学賞をカーネマン教授が受賞したことによる。2000年頃はカーネマンの名前を知っている日本の経済学者は少数派ではなかっただろうか。その研究は、認知心理学の応用として合理的な選択を人はするものだろうか、について考えるものであった。いわゆる実験によって実証するという心理学の方法を適用するものである。同じ認知心理学の研究者であるトヴェルスキーと共同研究をし、論文も共著として相当数発表しておられた。

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天動説と地動説

天動説とは「地球は宇宙の中心にあって静止している。そして太陽、月、星が地球の周りを回っている」という考え方であり、17世紀頃までは支配的な宇宙観であった。それに対して「地球や他の惑星が太陽の周りを回っている」という考え方が18世紀以降になって有力になってくる。これが地動説である。ガリレオは地動説の考えを放棄するよう迫られそれを認めたが、「それでも地球は動いている」とその後でつぶやいた、といわれている。