交渉学を学ぶ意義について
日本で最初に交渉学を研究したのは、NPO法人日本交渉協会の創設者であり現在理事長である藤田忠です。1970年代にハーバード大学で研究員として学んでいた際に交渉学と出合い、帰国後日本の大学で交渉学の講座をスタートしました。藤田は日本交渉学会、そして日本交渉協会を設立し、この活動を同協会副理事長である土居弘元が支え、同協会専務理事である奥村哲史が受け継いできました。日本では藤田、土居、奥村の三教授の努力によって交渉学の灯が灯され続けてきた歴史があるといってもよいでしょう。
今日の日本においては交渉というとお互いの腹のさぐり合いや、自分の要求を相手に飲ませるための画策、自らが勝つことを最優先にした手法といったマイナスのイメージが強くあります。勿論こうした類の手法も交渉の一部になります。しかし、交渉を別の側面で見ると、信頼関係をベースにして力を合わせる、お互いの利害をうまく調整する、お互いの問題を協力して解決する、こうしたプラスの側面も多く持っています。こうした正と負の側面を持つ交渉に私たちは日々あたっていくわけですが、特に心にとめで臨むべきであるのは、交渉の正の側面です。人間社会はエゴとエゴがぶつかり合う醜く汚い側面がある一方で良心に基づき高い理想を求め努力する素晴らしい側面もあります。現実社会に生きている以上、この醜い側面からは目をそらすことはできませんが、より良い方向に導くことを実践することを選択することもできます。
要するに、私たちが交渉学を学ぶ意義は、現実の人間社会を直視し、厳しい対立の中においても、対話を通じて双方にとってより良い道(解決策)を見出す事ができる力を身につけ実践することにあります。交渉とは他者と信頼を築くスキルあり、厳しい対立を乗り越え他者と共に生き抜く知恵・力であるといえます。前述した日本交渉学の祖である藤田忠は交渉について下記のように述べています。
「ゼロサムの相互が不信の哲学に立つ時両者は共倒れになるのである。これが過当競争の結果であり、破壊的競争のもたらすものである。そこでもとめられるのが燮(やわらぎ)の交渉である。交渉は人間関係である。厳しい対立の人間関係である。しかし相手を否定する人間関係ではない。そこに人間的ぬくもりが求められる。やわらかさのある交渉である。それが燮の交渉である。これがタフな交渉者の力なのである」
こうした観点から考えると交渉学は決して「交渉術」ではなく、その人の生き方、他者や社会への関わり方を学ぶ「交渉道」といってもよい学問だと思います。交渉は「交渉術」という表現でたびたび紹介されてきました。我々は交渉術のレベルにとどまってはいけないと考えています。術のレベルであれば、そこに哲学はなく、単なる道具の一つに過ぎません。巳の利益のみを考え、権謀術数の限りを尽くし繰り出す交渉術は社会にとって百害あって一利なしの代物となります。交渉を学問として学び、実践して交渉道のレベルまで高めることが重要なのです。前述したように、交渉とは、自らが他者や社会とどう関わっていくのかを考え、それを表現する姿勢、方法であり、自身の生き様の一部ともいえるのです。
厳しい対立状況にあっても、困難を伴っても、共通の志を見出し、協働し、必死で知恵を巡らして解決策を生み出し、自利利他円満の道を歩む、そのような徳を兼ね備えたタフな交渉者を目指す人が増え、学びを共に実践し拡げていけることができれば幸いです。
特定非営利活動法人日本交渉協会 代表理事 安藤雅旺