望月明彦氏による交渉学Web講座

価格交渉の基礎構造 ~“ZOPA”という名のパイを切り分ける!

NPO法人日本交渉協会常務理事 望月明彦

今回は分配型交渉(ウィン・ルーズ型交渉)の典型である「価格交渉」について、その構造を科学してみましょう。「科学する」といっても大層なことではありません。価格交渉には「見えている価格交渉」と「見えていない価格交渉」の二重構造があるというだけです。

通常、価格交渉では、売り手も買い手もそれぞれ3つの価格をもっています。「出発点」、「目標点」、そして「留保点」です。大切なことは、出発点は交渉の表に出てきますが、留保点は表に出てこないということです。

出発点=最初に提示する条件(価格)
目標点=できればこの価格で合意したいという条件(価格)
留保点=これ以上は譲歩できないという条件(価格)

出発点の中間で合意することは公平か?
あなたは近所の公園で行われているフリーマーケットで、欲しいと思っていた小説が400円で売られているのを見つけました。売り主である二十歳そこそこの女性に、あなたは100円にまけてもらえないかと切り出しました。女性は苦々しい顔をしましたが、しばらくのやり取りの後、「では400円と100円の間をとって250円でどうですか?」と切り返してきました。あなたはお互いの価格の真ん中なら公平かな、と納得して、250円で買うことにしました。さて、この合意価格は本当に公平なのでしょうか?

ZOPAというパイを切り分ける!
さて、この女性、実はこの小説を古本屋で150円で買っていました。それを400円で売ろうとしていたのです。彼女は買い値の150円より安くするつもりはありませんでした。一方あなたは、実は古本屋で300円で売っているのを知っていましたから、300円以上払うつもりはありませんでした。

このとき、合意できる価格帯は、女性がぎりぎり譲歩できる150円(これが女性の留保点)とあなたがぎりぎり譲歩できる300円(これがあなたの留保点)の間であり、これをZOPAといいます。交渉ではこのZOPAの間で合意することになります。ZOPA以外の価格では、売り手か買い手、どちらかが譲歩できない価格になってしまうからです。

ZOPA=交渉者同士の留保点の間。交渉はこのZOPAの間で合意する。(Zone Of Possible Agreement )

つまり、この交渉は150円から300円の間の150円というパイを女性とあなたが交渉で切り分けていると見ることができるわけです。

さて、この交渉では250円で合意しています。つまり女性は留保点である150円より100円だけ高い金額で売りましたから、満足度は100円です。あなたは留保点である300円より50円だけ安い価格で合意しましたから、満足度は50円です。二人の満足度を合計すると、100円+50円=150円。これがZOPAの150円と一致するわけです。

交渉ではお互いが提示する価格しか表に出てきませんから、最初に提示した出発点の間で合意するとお互いが同額ずつ譲歩し合った気がして、納得感や公平感が生まれます。しかしお互いが自分の留保点に対していくら有利に合意できたか、という観点で見てみると必ずしも公平になっているわけではないのです。今回の例では、あなたは値下げ交渉に成功して喜んでいますが、実は女性のほうが得しているのです。ただし、女性もあなたもお互いにこのことを知る由はないのですが。


表に出ている「出発点」

表に出てこない「留保点」

実践で使える! 交渉学の知識 ~「相手がちょっとだけ驚く出発点!」
価格交渉では、お互いの出発点に対して合意点がどこになったかによって公平感が決まる傾向にあります。ということはできるだけ出発点はこちらに有利にしたほうが良いわけです。特に日本人は出発点が控えめであると言われます。ただし、あまり極端にこちらに有利な条件を出すと、相手方がこちらに対して不信感を抱くことになり、交渉決裂にもなりかねませんから注意が必要です。出発点は、相手がちょっとだけ驚く程度にこちらに有利にするのが良いでしょう。

覚えておきたい! 交渉の心得~「予想される質疑を書き出してみよ!」
交渉テーブルに着くとき、こちらが提示した条件に対して相手がどのような反応をするか、事前にしっかり想定し、説得力のある回答や説明を用意しておきましょう。それもできるだけ様々な質疑を具体的に想定することが大切です。そして、想定外の質問が出てきても決して慌てた姿を見せないようにどっしりと構えましょう。慌てた姿を見せただけで交渉の流れががらりと変わってしまうかもしれません。

望月 明彦氏

望月公認会計士事務所代表
特定非営利活動法人 日本交渉協会常務理事
ディップ株式会社監査役 (東証1部上場)(現任)
アイビーシー株式会社監査役(東証1部上場)(現任)
日本公認会計士協会東京会 研修委員会 副委員長(2010~2014)
経済産業省コンテンツファイナンス研究会 委員(2002~2003)

早稲田大学政治経済学部卒。
監査法人トーマツを経て、慶応義塾大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)修了。
その後、上場企業の経営企画部長として資本政策の立案・実施、合弁会社の設立、各種M&Aなどを手掛ける。
さらに、アーンストアンドヤングの日本法人にて上場企業同士の経営統合のアドバイザー等を務める。
2010年より望月公認会計士事務所代表。日本交渉協会常務理事。

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まとめ

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