窪田恭史氏による交渉学Web講座

交渉のゲーム的要素を学ぶ

NPO法人日本交渉協会理事 窪田恭史

前述の通り、 「交渉分析」のベースには「ゲーム理論」がある。“Negotiation Analysis”でも分配型交渉の分析や統合型交渉における価値の分配の問題、多数者間交渉における連合形成の分析などを行うにあたり、ゲーム理論が多用されている。

2018年6月に行われた、交渉アナリスト1級会員の勉強会(燮会)では、この交渉分析にとって重要なゲーム理論の概念を分かりやすく理解するのと、あらゆる交渉の基底にあるゲーム的要素を体感するため、 “Win As Much As You Can”という演習を行った。“Win As Much As You Can”は、ハーバード大学のマイケル・ウィラー教授によって考案された、「繰り返し囚人のディレンマ」を体験できるシンプルな演習である。

得点カード

ルールは次の通り。まずプレイは4人で行い、手持ちの「X」または「Y」と書かれたカードのいずれか1枚を一斉に提示する。出されたカードの結果を上にあるような「得点カード」と照合し、各プレイヤーの得点を算出、「得点表」(下図)に書き込む。これで1ラウンドが終了する。全10ラウンドをプレイした後、総得点の最も多かったプレイヤーが勝者となる。なお、第5、第8、第10ラウンドはボーナスラウンドとなっており、得点表のように、これらのラウンドでは得点がそれぞれ3倍、5倍、10倍となる。
なお、演習の間、プレイヤーはファシリテータの許可なく互いに話や筆談をしたり、どちらのカードを出すかの意思表示をしてはならない。例外はボーナスラウンドの前で、この時だけは3分間事前にプレイヤー間でコミュニケーションを取ることが認められる。

得点表

この会では、2つのグループで、10ラウンド1回のゲームを3回行った。結果は、得点格差が大きく開いてしまったグループ、逆に驚くほど均質だったグループ、途中まで協調していたにもかかわらず、最後のボーナスラウンドで裏切られ大逆転が起こってしまったグループなど、様々なパターンが生まれた。
実は、“Win As Much As You Can”の“You”には、二つの意味がある。「あなた」と「あなた方」である。つまり、このゲームは個人として得点を競うばかりでなく、全体としての得点を増やせるかという視点の拡大が可能であり、そこに気付くかはプレイヤー次第ということになる。尤も、今回の場合はプレイヤーが交渉アナリスト1級会員であったということもあり、自然とそのような可能性を探った人が多かったようである。

さて、この“Win As Much As You Can”は、「繰り返し囚人のディレンマ」を体験するゲームだけに、ルールは古典的なゲームのルールとほぼ同じである、即ち、

1.固定化された戦略
2.二つの代替案
3.完全情報
4.共通知識
5.同時選択
6.コミュニケーションはない

唯一の違いは、「6.コミュニケーションはない」だけである。もしコミュニケーションも完全に禁止されたルールだったとしたら、この演習はどうなっていたであろうか?

「自分の利益だけを考えたら常にXを出し続ければよい。しかし、恐らく他のプレイヤーも同じように考えるだろう。全員がXを選択したら、最終的に全員△25点という結果になってしまう…」

「では全員でYを出し続ければ、全員25点という平等な結果となるのでハッピーではないか?しかし、もし誰か一人でも裏切ったら、自分は貧乏くじを引くことになってしまう…」
恐らくプレイヤーは上記のようなディレンマに陥ったに違いない。まさしく「囚人のディレンマ」である。このような制約下では、理論上「裏切り」(この場合は「X」)を選択し続けることが解となる。
しかし、“Win As Much As You Can”は、部分的にせよコミュニケーションが認められていたことにより、このようなディレンマを回避することが可能である。しかしながら、全員が協調して(つまりYを選択して)、25点(チーム総得点100点)を目指すということは、提案はあったかもしれないが、結果的に今回の場合見られなかった(もちろん、それだけが解というわけではない)。さらに習熟すれば、より深みのある戦略が生まれてきたであろうと思われる。

「交渉アナリストとは何か?(1)」でも触れたように、ゲーム理論と交渉理論との違いは、交渉が相手とのコミュニケーションによって意思決定を行うという点にある。つまり、コミュニケーションの存在によってプレイヤーが望ましくない結果に陥るディレンマを回避できる可能性が生まれるという示唆は、交渉を行うことの一つの意義といえるだろう。しかし、参加者の中で「全体のパイを大きくしつつ、自分が多く勝つ方法が難しい」と感想を述べられた方がいたように、現実の交渉においても全体利益を大きくし、その後それをどのように配分するかという問題は残る。この配分の際に再びディレンマが付きまとうのである。これは「交渉者のディレンマ」と呼ばれており、交渉学の主要なテーマの一つでもある。「交渉者のディレンマ」については、次回以降で触れたいと思う。

なお、“Negotiation Analysis”のベースにあるもう一つの学問分野である「行動意思決定論」は、現実には上記のようなディレンマ状況、さらには一方のプレイヤーがパイの分け前を一方的に決定できる状況(「最後通牒ゲーム」や「独裁者ゲーム」)にあっても、多くの人が折半またはある程度の利益を譲歩する選択を行うということを明らかにしている。今回も参加者から「ゲームの結果がこの後の懇親会に及ぼす影響が心配」といった冗談めかした声があがっていたが、まさしくその通りで、大方の人には自己の利益最大化だけでなく、公平でありたいという願望と、不公平はいずれ代償を伴うかもしれないという認識が備わっているのである。この事実は、「交渉者のディレンマ」克服に向けての希望であろう。

“Win As Much As You Can”は、「繰り返し囚人のディレンマゲーム」であった。一方、1回限りの「囚人のディレンマゲーム」的状況を題材にした、“Golden Balls”というバラエティ番組がイギリスBBCでかつて放送されていた(2007年~2009年)。
“Golden Balls”は、二人のプレイヤーが賞金を懸け、“Split”(山分け)または“Steal”(総取り)と書かれた金のボールのいずれかを選択するというゲームである。プレイヤー同士面識はない。下図のように、プレイヤー双方が「山分け」を選択すれば、二人とも賞金の半分を獲得できる。しかし、一方が「総取り」を選択し、もう一方が「山分け」を選択した場合、「総取り」を選択した方は賞金を全額獲得し、「山分け」を選択した方は1ポンドも得られない。そして、双方が「総取り」を選択すると、二人とも1ポンドも得られない。つまり、ゲームの構造は典型的な「囚人のディレンマゲーム」となっている。


ただし、このゲームでもプレイヤーはボールを選択する前に、30秒だけ交渉することが認められる。僅かな時間の間にプレイヤーがどのような交渉をするのかが、この番組の見どころでもある。

“golden balls. the weirdest split or steal ever!”

この番組で、ニック(右)とイブラヒム(左)という二人のプレイヤーが、今まさに13,600ポンド(約200万円)を懸け、ゴールデンボールの選択をしようとしている。選択前の30秒の交渉で、ニックは驚くべき提案をイブラハムに行った。ニックは何と、イブラハムに「僕を信じてくれ。僕は100%、総取りを選ぶ」、と言ったのである。そして畳みかけるように、ニックは「山分けを選んでほしい」とイブラヒムに要求し、「そうしたらゲームが終わった後で、君と賞金を山分けするから」と提案した。驚き、唖然とするイブラヒム。しかしニックは表情一つ変えず、頑なに立場を固定し、イブラヒムに「山分け」の選択を迫ったのである。

この状況は、ゲーム理論でいう「コミットメント」に該当する。即ち、双方が「山分け」を選択することに同意し、100万円近い賞金を獲得した方が良いのは明白である。にもかかわらず、一方がさらなる利得を目指し、一か八か立場を固定することで相手に戦略変更を迫るというものである。ニックとしては、「総取り」を選んで双方ゼロで終わるか、ニックの提案を受け入れるしかない。しかし、ニックが本当に賞金を分けてくれる保証はどこにもない。

果たして、結末はどうなったであろうか?実はニックも「山分け」を選択し、折半となったのである。ここがイギリス人らしいユーモアというか、娯楽番組の真骨頂であるといえよう。会場は笑いに包まれた。ニックは「笑い」という利得も計算して交渉していたのかもしれない。

窪田 恭史氏

ナカノ株式会社 取締役副社長
日本繊維屑輸出組合理事
日本交渉協会燮会幹事
日本筆跡心理学協会、筆跡アドバイザーマスター

早稲田大学政治経済学部卒。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)における
コンサルティングおよび研修講師業務を経て、衣類のリサイクルを85年手がけるナカノ株式会社に入社。
現在、同社取締役副社長。
2012年、交渉アナリスト1級取得。
日本交渉協会燮会幹事として、交渉理論研究を担当。
「交渉分析」という理論分野を日本に紹介、交渉アナリスト・ニュースレターにて連載中。

その他のレクチャー

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(13)-確率判断における認知バイアス-

人の認知は確率判断が苦手である。今回は、確率判断における認知バイアスとして、「連言錯誤」、「基準比率の無視」、「少ないサンプルの予測力の過小評価」を取り上げる。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(12)-モンティ・ホール問題-

ベイズの定理と直感的な推論がずれることの有名な例に、「モンティ・ホール問題」と呼ばれるパラドックスがある。モンティ・ホールとは、“Let‘s Make a Deal”というアメリカのバラエティ番組の司会者の名前であり、同番組を例にした以下のような問題である。読者は選んだドアを変えるだろうか?それとも、そのままにするだろうか?

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(11)-ベイズの定理-

ある事象Aが起こったという条件のもとでの事象Bの確率(条件付き確率)が成り立つ定理を「ベイズの定理」といい、18世紀の数学者、トーマス・ベイズによって示され、その後、ラプラスによって再発見・発展した。意思決定論とは、ある情報を得て次にどの行動をとるのが最善かを決める理論のことであるが、その決定にベイズの定理を用いた意思決定をベイズ的意思決定という。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(10)-損失回避性批判(2)-

科学とは「コンセンサスを通じて科学的真実を定義する、本質的に社会的なプロセス」であり、証拠は主観的世界観、あるいは科学者がある時点で受け入れている信念に照らして評価される。クーンはそのような科学を「正常科学」と呼び、「一つまたはそれ以上の過去の科学的成果、ある特定の科学界がさらなる実践の基盤を提供するものとして、一時的に認めている成果に基づいた研究」と定義している。この「成果」をクーンは「パラダイム」と呼び、科学界で採用されるには、その他の科学研究領域からの支持者を引き付けるため、前例がなく、研究者が探求し、パラダイムを構築するための未解決の問題を残していなければならないと主張している。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(10)-損失回避性批判(1)-

従来の期待効用理論を批判する形で起こった「プロスペクト理論」、およびそれを土台として発展した行動経済学は今や隆盛を極めている。カーネマンが「損失回避の概念は行動経済学に対する心理学の重要な貢献である」と述べているように、行動経済学の中核概念は、利得よりも損失を避けようとする人間の心理傾向、「損失回避性」であるが、この損失回避性については、近年批判も出始めている。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(3)-

Q3’、Q4’は、Q3、Q4の利得を損失に変えたものであることが分かる。Q4’の方は損失の期待値がやや低いDを選択した方がわずかに多かったので、これは期待効用理論の観点からも理解できる。問題はQ3’の方である。Aの方が損失の期待値がわずかに大きいが、それにもかかわらず圧倒的多数の92%がAを選んだのである。これはどういうわけであろうか?カーネマンらの説明によれば、人は損失を嫌う、したがって、確実な損失を回避するため、リスクをとる傾向にあるというものである。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(2)-

期待効用理論で考えれば、AとB、CとDの確率的利得の比率は、共に16:15である。つまり、選択されるのはAとC、BとDのいずれかであるのが合理的である。そして、期待値はAとCがいずれも高いので、AとCが合理的選択となる。ところが、実験結果はBとCであり、しかもQ3では80%という圧倒的比率でBが選ばれた。考えられるのは、Q3については前回同様、損失回避性により確実な方が選ばれたということ、Q4についてはどちらも当たる確率が低く、両者の確率の差も大きくないので、そうであれば金額の大きい方に賭けてみようというものだ。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(1)-

ライファはカーネマンやトヴェルスキーの主張するプロスペクト理論を否定してはいない。期待効用理論が現実の人間行動を上手く記述できないことも認めており、”Negotiation Analysis”の中でも行動意思決定論の研究成果をしばしば取り上げている。それでもライファは、より良い意思決定を行う手法として期待効用理論は依然として有用であると考えており、1985年に”Back from Prospect Theory to Utility Theory”という論文を著している。交渉分析において、交渉相手の行動や戦略を記述的に説明したり予測したりするには、行動意思決定的分析が優れており、その上で交渉当事者が意思決定の処方を下すための規範を示すのには従来の決定分析が優れていると、それぞれ役割が異なるとライファは考えていた。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(8)-期待効用理論に対する批判-

前回述べたように、期待効用理論は現実の人間の行動を説明するものではないとする批判も多い。その先鞭ともいえるのが、「アレのパラドックス」である。1988年にノーベル賞を受賞した、経済学者のモーリス・アレは、1953年にニューヨークで行われた会議において、以下のような実験を行い、実際の人間が期待効用理論には従わないということを示した。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(7)-リスク下の意思決定-

経済学者のフランク・ナイトによれば、リスクとは「確率が分かっている不確実性」を言い、確率が分からない真の「不確実性」とは区別する。代替案にリスクがある場合、その代替案がどのような結果となるかは、確率的にしか分からない。起こる結果の価値分析の方法には、「定性的順序」、「貨幣価値」(EMV)、「望ましさの価値」(EDV)、「効用価値」(EUV)の四つがある。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(6)-等価交換-

ミラーは帰結表を作り直す(表1)。表を眺めると、3つの代替案については通勤時間がほぼ同じであることが分かる。バラノフの通勤時間が等価交換で25分になれば、代替案すべての通勤時間は同じになり、目的から外すことができる(これは期待効用理論における独立性の公理と同じ考え方である)。ミラーは、バラノフの通勤時間の増加分をクライアントへのアクセスの8%の増加で埋め合わせることができると決定する。慎重に検討した結果、彼は交換を行い、通勤時間を無意味にする。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(5)-等価交換-

意思決定において、すべての目的を同時に達成できればよいが、常にそのようにできるとは限らない。その場合、目的間でトレードオフを行い、いかに妥協をするかを考えなければならない。しかし、トレードオフを行うのは容易ではない。トレードオフを難しくしている要因には、以下のようなものが挙げられる。