窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(3)-

NPO法人日本交渉協会理事 窪田恭史

4.反射効果

以下のQ3’、Q4’ではそれぞれどちらを選択するだろうか?


【Q3

【Q3’】

【Q4

【Q4’】


Q3’、Q4’は、Q3、Q4の利得を損失に変えたものであることが分かる。Q4’の方は損失の期待値がやや低いDを選択した方がわずかに多かったので、これは期待効用理論の観点からも理解できる。問題はQ3’の方である。Aの方が損失の期待値がわずかに大きいが、それにもかかわらず圧倒的多数の92%がAを選んだのである。これはどういうわけであろうか?カーネマンらの説明によれば、人は損失を嫌う、したがって、確実な損失を回避するため、リスクをとる傾向にあるというものである。つまり、「決定分析(8)-期待効用理論に対する批判-」のプロスペクト理論で見たように、人は利得に対してはリスク回避的に、損失に対してはリスク愛好的に評価する傾向がある。これを「反射効果」という。確実に30万円失う位なら、40万円失うリスクを冒してでも損をせずに済むわずかな可能性に賭けてみようというものだ。

このような選択が望ましくないとは必ずしも言えないだろう。例えば、放っておけば確実に死に至る状況にあっては、例え僅かな確率でも助かるかもしれない可能性に賭けてみるというのは、不合理とは言えないのではないだろうか。しかし、状況によっては期待効用理論に従って行動した方が良い場合もあるだろう。例えば、Q3’のBにおいて、-30万円がサンクコスト(既に投下し、行動を止めても取り戻すことができないような費用)であるような場合だ。後に採り上げるが、損失を取り戻そうとして行動がエスカレートしていくような状況に陥るのであれば、確実な損失を甘受した方が良い場合もある。

イツァーク・ギルボアは『意思決定理論入門』の中で、反射効果が合理的と言えるケース(1)、どちらとも言えないケース(2)、合理的とは言えないケース(3)として、以下のような例を挙げている。

1.合理的と言えるケース
私は政治家である。私はあるプロジェクトを推進しており、そのプロジェクトにはこれまでに5,000万円投資してきた。しかし、それはそもそも良くない構想だった。私のアドバイザーは、プロジェクトは中止すべき時に来ているかもしれないと言った。プロジェクトにあと5,000万円投資すれば、成功してこれまでの投資で生じた損失額を相殺できるかもしれない。そうすれば、これまでの投資を正当化できるだろう。しかし、同じ確率で大きな失敗、つまり計1億円失う可能性もある。私はどうすべきだろうか?

2.どちらとも言えないケース
私は既婚者だ。私は家の財産管理を任されており、友人のビジネスに50万円の投資をしてきた。しかし、そのビジネスの状態は思わしくない。友人は、更なる投資が無いと、これまでの投資が全て回収できなくなると告げてきた。私はあと50万円投資することができる。投資した場合、50%の確率で経営が改善され、初期投資が回収できるようになるが、50%の確率で2回目の投資額も失う。私はさらなる投資をして賭けに出るべきか?それとも損切りをすべきだろうか?

3.合理的とは言えないケース
私は独身者だ。私は家の財産管理を任されており、友人のビジネスに50万円の投資をしてきた。しかし、そのビジネスの状態は思わしくない。友人は、更なる投資が無いと、これまでの投資が全て回収できなくなると告げてきた。私はあと50万円投資することができる。投資した場合、50%の確率で経営が改善され、初期投資が回収できるようになるが、50%の確率で2回目の投資額も失う。私はさらなる投資をして賭けに出るべきか?それとも損切りをすべきだろうか?


 

参考:
M. Grauer et al. (eds.) (1985) Plural Rationality and Interactive Decision Processes, p.100-113 “Back from Prospect Theory to Utility Theory”
イツァーク・ギルボア著、『意思決定理論入門』(NTT出版)


窪田 恭史氏

ナカノ株式会社 取締役副社長
日本繊維屑輸出組合理事
日本交渉協会燮会幹事
日本筆跡心理学協会、筆跡アドバイザーマスター

早稲田大学政治経済学部卒。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)における
コンサルティングおよび研修講師業務を経て、衣類のリサイクルを85年手がけるナカノ株式会社に入社。
現在、同社取締役副社長。
2012年、交渉アナリスト1級取得。
日本交渉協会燮会幹事として、交渉理論研究を担当。
「交渉分析」という理論分野を日本に紹介、交渉アナリスト・ニュースレターにて連載中。

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従来の期待効用理論を批判する形で起こった「プロスペクト理論」、およびそれを土台として発展した行動経済学は今や隆盛を極めている。カーネマンが「損失回避の概念は行動経済学に対する心理学の重要な貢献である」と述べているように、行動経済学の中核概念は、利得よりも損失を避けようとする人間の心理傾向、「損失回避性」であるが、この損失回避性については、近年批判も出始めている。

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Q3’、Q4’は、Q3、Q4の利得を損失に変えたものであることが分かる。Q4’の方は損失の期待値がやや低いDを選択した方がわずかに多かったので、これは期待効用理論の観点からも理解できる。問題はQ3’の方である。Aの方が損失の期待値がわずかに大きいが、それにもかかわらず圧倒的多数の92%がAを選んだのである。これはどういうわけであろうか?カーネマンらの説明によれば、人は損失を嫌う、したがって、確実な損失を回避するため、リスクをとる傾向にあるというものである。

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決定分析(9)-効用理論に戻れ(2)-

期待効用理論で考えれば、AとB、CとDの確率的利得の比率は、共に16:15である。つまり、選択されるのはAとC、BとDのいずれかであるのが合理的である。そして、期待値はAとCがいずれも高いので、AとCが合理的選択となる。ところが、実験結果はBとCであり、しかもQ3では80%という圧倒的比率でBが選ばれた。考えられるのは、Q3については前回同様、損失回避性により確実な方が選ばれたということ、Q4についてはどちらも当たる確率が低く、両者の確率の差も大きくないので、そうであれば金額の大きい方に賭けてみようというものだ。

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決定分析(9)-効用理論に戻れ(1)-

ライファはカーネマンやトヴェルスキーの主張するプロスペクト理論を否定してはいない。期待効用理論が現実の人間行動を上手く記述できないことも認めており、”Negotiation Analysis”の中でも行動意思決定論の研究成果をしばしば取り上げている。それでもライファは、より良い意思決定を行う手法として期待効用理論は依然として有用であると考えており、1985年に”Back from Prospect Theory to Utility Theory”という論文を著している。交渉分析において、交渉相手の行動や戦略を記述的に説明したり予測したりするには、行動意思決定的分析が優れており、その上で交渉当事者が意思決定の処方を下すための規範を示すのには従来の決定分析が優れていると、それぞれ役割が異なるとライファは考えていた。

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決定分析(8)-期待効用理論に対する批判-

前回述べたように、期待効用理論は現実の人間の行動を説明するものではないとする批判も多い。その先鞭ともいえるのが、「アレのパラドックス」である。1988年にノーベル賞を受賞した、経済学者のモーリス・アレは、1953年にニューヨークで行われた会議において、以下のような実験を行い、実際の人間が期待効用理論には従わないということを示した。

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決定分析(7)-リスク下の意思決定-

経済学者のフランク・ナイトによれば、リスクとは「確率が分かっている不確実性」を言い、確率が分からない真の「不確実性」とは区別する。代替案にリスクがある場合、その代替案がどのような結果となるかは、確率的にしか分からない。起こる結果の価値分析の方法には、「定性的順序」、「貨幣価値」(EMV)、「望ましさの価値」(EDV)、「効用価値」(EUV)の四つがある。

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決定分析(6)-等価交換-

ミラーは帰結表を作り直す(表1)。表を眺めると、3つの代替案については通勤時間がほぼ同じであることが分かる。バラノフの通勤時間が等価交換で25分になれば、代替案すべての通勤時間は同じになり、目的から外すことができる(これは期待効用理論における独立性の公理と同じ考え方である)。ミラーは、バラノフの通勤時間の増加分をクライアントへのアクセスの8%の増加で埋め合わせることができると決定する。慎重に検討した結果、彼は交換を行い、通勤時間を無意味にする。

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決定分析(5)-等価交換-

意思決定において、すべての目的を同時に達成できればよいが、常にそのようにできるとは限らない。その場合、目的間でトレードオフを行い、いかに妥協をするかを考えなければならない。しかし、トレードオフを行うのは容易ではない。トレードオフを難しくしている要因には、以下のようなものが挙げられる。