窪田恭史氏による交渉学Web講座

交渉アナリストとは何か?(2)

NPO法人日本交渉協会理事 窪田恭史

前回は交渉アナリストとは何かを考える前段として、そもそもの交渉分析とは何かについて述べた。今回はそれを踏まえて、「交渉アナリストとは何か」ということについて考えてみたい。

2.交渉アナリストとは何か?

今一度、”Negotiation Analysis”出版に至る道筋を整理しておきたい。【図2】は、それを図示したものである。「ハワード・ライファ先生について」でも述べたように、1950年代から決定論とゲーム理論研究を牽引したライファは、次第にその関心を交渉へと移し、1982年に決定論とゲーム理論を交渉の問題解決に適用する”The Art and Science of Negotiation”を著した。その後、新たに起こった認知心理学的研究(行動意思決定論)を取り込みつつ、”The Art and Science of Negotiation”を大幅増補・改訂する形で2002年に出版したのが、” Negotiation Analysis”である。時にライファ78歳、1994年にハーバード大学を退職し、既に人生の集大成に入っていた時期であった。回顧録の中で、ライファは次のように述べている、「時が過ぎ、私にはやりたいことを確実に行う余裕があった。私のファイルは部分的に終わったプロジェクトで一杯だった。私はもう一度活気に満ち、退職前に行っていたことを続けようと思った」。原書で約550頁にも及ぶ大著を敢えて世に問うた背景には、認知心理学等の発展により、従来の決定論的アプローチの限界が指摘され、合理的決定論への注目が衰えていく風潮に対する、ライファの憂慮があったであろうと思われる。ライファはむしろ、この世の中が非合理だからこそ、社会改善のために合理的思考とその処方が必要なのだと考えていた。”Negotiation Analysis”は、単に交渉分析の技芸(Art)を述べた本ではない。社会を改善するために合理的思考と科学的知識を身に着け、かつ現実にも適切に対応できる「交渉アナリスト」を増やしたいという思いが込められていたであろうことは、前回述べたライファの生涯からも明らかである。

Negotiation Analysisの成立過程

【図2】 “Negotiation Analysis”の成立過程


前回述べたように、「規範的アプローチを基礎としつつ、記述的アプローチによって得られる現実の意思決定を改善するための処方を描くこと」が交渉分析だとするなら、交渉アナリストはその分析によって、交渉を双方にとってより望ましい方向に改善する担い手である、ということになる。しかし、ライファの視野はさらに広い。目の前の交渉ばかりでなく、協創的交渉という行為を通じて社会をより望ましい方向に改善していくことができるとライファは信じていた。しかもその社会とは、現世代だけでなく将来世代も含まれている。交渉アナリストはその科学と技芸によって、世間の人が気づいていない、これから起こるだろう問題を予測し、交渉を通じてその問題に対応する存在でなければならない。その意味で、「問題解決者(Problem Solver)」を超え、「問題発明家(Problem Inventor)」にならなければならない、とライファは説いている。

今回二回にわたって述べてきたことを踏まえれば、日本交渉協会による交渉アナリスト1級の定義、「高い交渉力を持って、社会に貢献できる人」が、ライファの考える交渉アナリスト像とまさに一致することが分かるであろう。「将来にわたる社会に貢献できる人」とすれば、よりライファの考えに近くなるかもしれない。故に、「交渉アナリスト」は、単なる「交渉者(Negotiator)」ではないのである。

参考:
Sebenius, James K. “Negotiation Analysis: From Games to Inferences to Decisions to Deals .”
Negotiation Journal 25, no. 4 (October 2009): 449–465.
Ralph L. Keeney (2016) Remembering Howard Raiffa. Decision Analysis 13(3):213-218.
Richard Zeckhauser(2017)Howard Raiffa and Our Responsibility to Rationality.
Negotiation Journal October 2017
Erwann Michel-Kerjan, Paul Slovic (2010)The Irrational Economist: Making Decisions in a Dangerous World
Prof. Howard Raiffa, Giant in Game Theory and Decision Analysis, Dies at 92(12 JUL 2016)
https://www.hbs.edu/news/releases/Pages/howard-raiffa-obituary.aspx
Howard Raiffa John Richardson David Metcalfe(2002)Negotiation Analysis: The Science and Art of Collaborative Decision Making

窪田 恭史氏

ナカノ株式会社 取締役副社長
日本繊維屑輸出組合理事
日本交渉協会燮会幹事
日本筆跡心理学協会、筆跡アドバイザーマスター

早稲田大学政治経済学部卒。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)における
コンサルティングおよび研修講師業務を経て、衣類のリサイクルを85年手がけるナカノ株式会社に入社。
現在、同社取締役副社長。
2012年、交渉アナリスト1級取得。
日本交渉協会燮会幹事として、交渉理論研究を担当。
「交渉分析」という理論分野を日本に紹介、交渉アナリスト・ニュースレターにて連載中。

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決定分析(13)-確率判断における認知バイアス-

人の認知は確率判断が苦手である。今回は、確率判断における認知バイアスとして、「連言錯誤」、「基準比率の無視」、「少ないサンプルの予測力の過小評価」を取り上げる。

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決定分析(12)-モンティ・ホール問題-

ベイズの定理と直感的な推論がずれることの有名な例に、「モンティ・ホール問題」と呼ばれるパラドックスがある。モンティ・ホールとは、“Let‘s Make a Deal”というアメリカのバラエティ番組の司会者の名前であり、同番組を例にした以下のような問題である。読者は選んだドアを変えるだろうか?それとも、そのままにするだろうか?

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決定分析(11)-ベイズの定理-

ある事象Aが起こったという条件のもとでの事象Bの確率(条件付き確率)が成り立つ定理を「ベイズの定理」といい、18世紀の数学者、トーマス・ベイズによって示され、その後、ラプラスによって再発見・発展した。意思決定論とは、ある情報を得て次にどの行動をとるのが最善かを決める理論のことであるが、その決定にベイズの定理を用いた意思決定をベイズ的意思決定という。

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決定分析(10)-損失回避性批判(2)-

科学とは「コンセンサスを通じて科学的真実を定義する、本質的に社会的なプロセス」であり、証拠は主観的世界観、あるいは科学者がある時点で受け入れている信念に照らして評価される。クーンはそのような科学を「正常科学」と呼び、「一つまたはそれ以上の過去の科学的成果、ある特定の科学界がさらなる実践の基盤を提供するものとして、一時的に認めている成果に基づいた研究」と定義している。この「成果」をクーンは「パラダイム」と呼び、科学界で採用されるには、その他の科学研究領域からの支持者を引き付けるため、前例がなく、研究者が探求し、パラダイムを構築するための未解決の問題を残していなければならないと主張している。

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決定分析(10)-損失回避性批判(1)-

従来の期待効用理論を批判する形で起こった「プロスペクト理論」、およびそれを土台として発展した行動経済学は今や隆盛を極めている。カーネマンが「損失回避の概念は行動経済学に対する心理学の重要な貢献である」と述べているように、行動経済学の中核概念は、利得よりも損失を避けようとする人間の心理傾向、「損失回避性」であるが、この損失回避性については、近年批判も出始めている。

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決定分析(9)-効用理論に戻れ(3)-

Q3’、Q4’は、Q3、Q4の利得を損失に変えたものであることが分かる。Q4’の方は損失の期待値がやや低いDを選択した方がわずかに多かったので、これは期待効用理論の観点からも理解できる。問題はQ3’の方である。Aの方が損失の期待値がわずかに大きいが、それにもかかわらず圧倒的多数の92%がAを選んだのである。これはどういうわけであろうか?カーネマンらの説明によれば、人は損失を嫌う、したがって、確実な損失を回避するため、リスクをとる傾向にあるというものである。

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決定分析(9)-効用理論に戻れ(2)-

期待効用理論で考えれば、AとB、CとDの確率的利得の比率は、共に16:15である。つまり、選択されるのはAとC、BとDのいずれかであるのが合理的である。そして、期待値はAとCがいずれも高いので、AとCが合理的選択となる。ところが、実験結果はBとCであり、しかもQ3では80%という圧倒的比率でBが選ばれた。考えられるのは、Q3については前回同様、損失回避性により確実な方が選ばれたということ、Q4についてはどちらも当たる確率が低く、両者の確率の差も大きくないので、そうであれば金額の大きい方に賭けてみようというものだ。

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決定分析(9)-効用理論に戻れ(1)-

ライファはカーネマンやトヴェルスキーの主張するプロスペクト理論を否定してはいない。期待効用理論が現実の人間行動を上手く記述できないことも認めており、”Negotiation Analysis”の中でも行動意思決定論の研究成果をしばしば取り上げている。それでもライファは、より良い意思決定を行う手法として期待効用理論は依然として有用であると考えており、1985年に”Back from Prospect Theory to Utility Theory”という論文を著している。交渉分析において、交渉相手の行動や戦略を記述的に説明したり予測したりするには、行動意思決定的分析が優れており、その上で交渉当事者が意思決定の処方を下すための規範を示すのには従来の決定分析が優れていると、それぞれ役割が異なるとライファは考えていた。

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決定分析(8)-期待効用理論に対する批判-

前回述べたように、期待効用理論は現実の人間の行動を説明するものではないとする批判も多い。その先鞭ともいえるのが、「アレのパラドックス」である。1988年にノーベル賞を受賞した、経済学者のモーリス・アレは、1953年にニューヨークで行われた会議において、以下のような実験を行い、実際の人間が期待効用理論には従わないということを示した。

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決定分析(7)-リスク下の意思決定-

経済学者のフランク・ナイトによれば、リスクとは「確率が分かっている不確実性」を言い、確率が分からない真の「不確実性」とは区別する。代替案にリスクがある場合、その代替案がどのような結果となるかは、確率的にしか分からない。起こる結果の価値分析の方法には、「定性的順序」、「貨幣価値」(EMV)、「望ましさの価値」(EDV)、「効用価値」(EUV)の四つがある。

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決定分析(6)-等価交換-

ミラーは帰結表を作り直す(表1)。表を眺めると、3つの代替案については通勤時間がほぼ同じであることが分かる。バラノフの通勤時間が等価交換で25分になれば、代替案すべての通勤時間は同じになり、目的から外すことができる(これは期待効用理論における独立性の公理と同じ考え方である)。ミラーは、バラノフの通勤時間の増加分をクライアントへのアクセスの8%の増加で埋め合わせることができると決定する。慎重に検討した結果、彼は交換を行い、通勤時間を無意味にする。

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決定分析(5)-等価交換-

意思決定において、すべての目的を同時に達成できればよいが、常にそのようにできるとは限らない。その場合、目的間でトレードオフを行い、いかに妥協をするかを考えなければならない。しかし、トレードオフを行うのは容易ではない。トレードオフを難しくしている要因には、以下のようなものが挙げられる。