窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(3)-PrOACT法-

NPO法人日本交渉協会理事 窪田恭史

ライファと教え子でもあるハモンド、キーニーは、1998年、長年培ってきた決定分析のノウハウを専門性・学術性を排し、誰もが恩恵を享受できるようにした画期的な書、”Smart Choices”を発表した。これは大きな反響を呼び、20万部以上売れ、15か国語以上に翻訳された。日本でも翌年ダイヤモンド社より『意思決定アプローチ-分析と決断』として発売されたが、海外での評価の割に日本での知名度はイマイチであった。筆者の知る限りでは、「ラジオ英会話」2005年11月号の連載記事『英語で学ぶMBA実践講座』において、この”Smart Choices”の中心テーマである意思決定プロセス、PrOACT法が紹介されていたぐらいである。

“PrOACT”とは、意思決定プロセスにおける”Problem”(問題)→”Object”(目的)→”Alternative”(代替案)→”Consequence”(帰結)→”Tradeoff”(トレードオフ)の頭文字を組み合わせた呼び名である(下図)。なお、”proact“には「先見的な」という意味もある。

【意思決定プロセス”PrOACT”】

【意思決定プロセス”PrOACT”】


著者らは同書の序文で、「現在実践されている意思決定の方法と、合理的な意思決定の方法との間にある大きなギャップを埋め」、「意思決定のプロセスを改善することで、人生の質を高めていくことができる。意思決定の方法を身に着ければ、必要に迫られた時、時間的、精神的エネルギーの消耗を防ぐことが可能になる」と述べている。同書の構想は1970年代からあったようであるが、当時ライファは国際応用システム分析研究所(IIASA)の初代所長を務めていたこともあり、大幅に出版が遅れた。後にライファは、決定分析の成果を広く一般に普及させる同書を30年早く出すべきだったと悔やんでいる。

余談であるが、著者の一人であるJ.ハモンドは、1973年にハーバード大学で初めて交渉学を講義した人物であり、日本に交渉学をもたらした、日本交渉協会理事長藤田忠先生の師である。

“Smart Choices”は身近な事例を豊富に用いて、決定分析の成果をいかに日常のより良い意思決定に役立てていくかを説明している。そのため、分かりやすい反面、やや冗長なきらいがある。”Negotiation Analysis”でも”PrOACT”法は第2章で取り上げられているが、数年前に”Smart Choices”が出版され、そこで詳しく解説されているということもあってか、ごく簡単に触れられているのみである。しかし、前回の”Value Focused Thinking”と同様、この”PrOACT”法も交渉分析の前提としてあることは間違いない。そこで今回以降数回は、この”PrOACT”法の要点について述べていきたいと思う。

1.問題(Problem)

統計学では、真実であるのに否定してしまうことを第一種過誤、誤っているのに正しいと判断してしまうことを第二種過誤という。これに対してライファは、そもそも間違っている問題を解決してしまうことを第三種過誤と呼んでおり、これを避けるため意思決定における問題の定義の重要性を説いている。

特に人は、最初に頭に浮かんだことを問題だと考えがちである。例えば、価格を巡って対立が起こると、つい価格だけが問題だと思考の焦点がそこに集中してしまいがちである。故に、これを避けるには、「何故それが問題だと考えているのか」を考えることが必要である。

問題には様々な制約条件が絡んでいる場合が多いが、それが本当に制約条件なのかどうか再考してみる必要がある。例えば、「顧客が〇〇と言ったから~できない」というのは本当に制約条件なのだろうか?

問題の定義を狭くし過ぎると、思考の範囲も狭くなってしまう。前回述べた例でいえば、「密封式のコーヒーの蓋をデザインする」という問題が、思考の幅を広げることで、「自転車の通勤者が、こぼしたり、舌を火傷したりせずにコーヒーを飲めるようにすること」へと拡大した。問題の定義を広くするというと、より漠然としたものになるように思われがちであるが、この例を見ても分かる通り定義の中身を細かく分割し、具遺体化することで、より本質的な要素が識別できるようになるのである。

“Negotiation Analysis”では、次作の出版社を変えたいと思っている(問題)、売れっ子作家を例に採り上げている。出版社を変えたいという問題があれば、それを解決する代替案は別の出版社を幾つか挙げるということになろう。しかし、その作家は何故出版社を変えたいと思っているのか?実は自分の作品を読者により良く伝えるには、もっと良い方法があるのではないか、と考えていたのである。そうなると、方法はネット出版にする、脚本にして映画化する、雑誌で連載する、など出版社を変える以外にも様々な方法が考えられる(問題の再定義)。

問題の定義に当たっては、第三者の視点を取り入れてみるのも良いだろう。

 

参考:
John S. Hammond、Ralph L. Keeney、Howard Raiffa、”Smart Choices”、
Howard Raiffa、” Decision Making – A View on Tomorrow”
ジョン・S. ハモンド、ハワード ライファ、ラルフ・L. キーニー著、『意思決定アプローチ-分析と決断』(ダイヤモンド社)

窪田 恭史氏

ナカノ株式会社 取締役副社長
日本繊維屑輸出組合理事
日本交渉協会燮会幹事
日本筆跡心理学協会、筆跡アドバイザーマスター

早稲田大学政治経済学部卒。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)における
コンサルティングおよび研修講師業務を経て、衣類のリサイクルを85年手がけるナカノ株式会社に入社。
現在、同社取締役副社長。
2012年、交渉アナリスト1級取得。
日本交渉協会燮会幹事として、交渉理論研究を担当。
「交渉分析」という理論分野を日本に紹介、交渉アナリスト・ニュースレターにて連載中。

その他のレクチャー

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(13)-確率判断における認知バイアス-

人の認知は確率判断が苦手である。今回は、確率判断における認知バイアスとして、「連言錯誤」、「基準比率の無視」、「少ないサンプルの予測力の過小評価」を取り上げる。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(12)-モンティ・ホール問題-

ベイズの定理と直感的な推論がずれることの有名な例に、「モンティ・ホール問題」と呼ばれるパラドックスがある。モンティ・ホールとは、“Let‘s Make a Deal”というアメリカのバラエティ番組の司会者の名前であり、同番組を例にした以下のような問題である。読者は選んだドアを変えるだろうか?それとも、そのままにするだろうか?

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(11)-ベイズの定理-

ある事象Aが起こったという条件のもとでの事象Bの確率(条件付き確率)が成り立つ定理を「ベイズの定理」といい、18世紀の数学者、トーマス・ベイズによって示され、その後、ラプラスによって再発見・発展した。意思決定論とは、ある情報を得て次にどの行動をとるのが最善かを決める理論のことであるが、その決定にベイズの定理を用いた意思決定をベイズ的意思決定という。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(10)-損失回避性批判(2)-

科学とは「コンセンサスを通じて科学的真実を定義する、本質的に社会的なプロセス」であり、証拠は主観的世界観、あるいは科学者がある時点で受け入れている信念に照らして評価される。クーンはそのような科学を「正常科学」と呼び、「一つまたはそれ以上の過去の科学的成果、ある特定の科学界がさらなる実践の基盤を提供するものとして、一時的に認めている成果に基づいた研究」と定義している。この「成果」をクーンは「パラダイム」と呼び、科学界で採用されるには、その他の科学研究領域からの支持者を引き付けるため、前例がなく、研究者が探求し、パラダイムを構築するための未解決の問題を残していなければならないと主張している。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(10)-損失回避性批判(1)-

従来の期待効用理論を批判する形で起こった「プロスペクト理論」、およびそれを土台として発展した行動経済学は今や隆盛を極めている。カーネマンが「損失回避の概念は行動経済学に対する心理学の重要な貢献である」と述べているように、行動経済学の中核概念は、利得よりも損失を避けようとする人間の心理傾向、「損失回避性」であるが、この損失回避性については、近年批判も出始めている。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(3)-

Q3’、Q4’は、Q3、Q4の利得を損失に変えたものであることが分かる。Q4’の方は損失の期待値がやや低いDを選択した方がわずかに多かったので、これは期待効用理論の観点からも理解できる。問題はQ3’の方である。Aの方が損失の期待値がわずかに大きいが、それにもかかわらず圧倒的多数の92%がAを選んだのである。これはどういうわけであろうか?カーネマンらの説明によれば、人は損失を嫌う、したがって、確実な損失を回避するため、リスクをとる傾向にあるというものである。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(2)-

期待効用理論で考えれば、AとB、CとDの確率的利得の比率は、共に16:15である。つまり、選択されるのはAとC、BとDのいずれかであるのが合理的である。そして、期待値はAとCがいずれも高いので、AとCが合理的選択となる。ところが、実験結果はBとCであり、しかもQ3では80%という圧倒的比率でBが選ばれた。考えられるのは、Q3については前回同様、損失回避性により確実な方が選ばれたということ、Q4についてはどちらも当たる確率が低く、両者の確率の差も大きくないので、そうであれば金額の大きい方に賭けてみようというものだ。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(9)-効用理論に戻れ(1)-

ライファはカーネマンやトヴェルスキーの主張するプロスペクト理論を否定してはいない。期待効用理論が現実の人間行動を上手く記述できないことも認めており、”Negotiation Analysis”の中でも行動意思決定論の研究成果をしばしば取り上げている。それでもライファは、より良い意思決定を行う手法として期待効用理論は依然として有用であると考えており、1985年に”Back from Prospect Theory to Utility Theory”という論文を著している。交渉分析において、交渉相手の行動や戦略を記述的に説明したり予測したりするには、行動意思決定的分析が優れており、その上で交渉当事者が意思決定の処方を下すための規範を示すのには従来の決定分析が優れていると、それぞれ役割が異なるとライファは考えていた。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(8)-期待効用理論に対する批判-

前回述べたように、期待効用理論は現実の人間の行動を説明するものではないとする批判も多い。その先鞭ともいえるのが、「アレのパラドックス」である。1988年にノーベル賞を受賞した、経済学者のモーリス・アレは、1953年にニューヨークで行われた会議において、以下のような実験を行い、実際の人間が期待効用理論には従わないということを示した。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(7)-リスク下の意思決定-

経済学者のフランク・ナイトによれば、リスクとは「確率が分かっている不確実性」を言い、確率が分からない真の「不確実性」とは区別する。代替案にリスクがある場合、その代替案がどのような結果となるかは、確率的にしか分からない。起こる結果の価値分析の方法には、「定性的順序」、「貨幣価値」(EMV)、「望ましさの価値」(EDV)、「効用価値」(EUV)の四つがある。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(6)-等価交換-

ミラーは帰結表を作り直す(表1)。表を眺めると、3つの代替案については通勤時間がほぼ同じであることが分かる。バラノフの通勤時間が等価交換で25分になれば、代替案すべての通勤時間は同じになり、目的から外すことができる(これは期待効用理論における独立性の公理と同じ考え方である)。ミラーは、バラノフの通勤時間の増加分をクライアントへのアクセスの8%の増加で埋め合わせることができると決定する。慎重に検討した結果、彼は交換を行い、通勤時間を無意味にする。

窪田恭史氏による交渉学Web講座

決定分析(5)-等価交換-

意思決定において、すべての目的を同時に達成できればよいが、常にそのようにできるとは限らない。その場合、目的間でトレードオフを行い、いかに妥協をするかを考えなければならない。しかし、トレードオフを行うのは容易ではない。トレードオフを難しくしている要因には、以下のようなものが挙げられる。