まとめ
NPO法人日本交渉協会常務理事 望月明彦
これまで11回にわたって、交渉学の基本的な知識を解説してきました。今回は最終回としてこれまでの議論をまとめ、そして最後に三つの問いについて考えてみましょう。
まとめ
交渉には自分だけがハッピーになろうとする「分配型交渉」(「ウィン・ルーズ型交渉」)と、自分も相手もハッピーになろうとする「統合型交渉」(「ウィン・ウィン型交渉」)がありました(第1回)。
≪分配型交渉について≫
分配型交渉の典型である価格交渉では、「ZOPA」を見極めることが鍵でした(第2回)。交渉者は留保点より不利な金額では合意できませんから、必ず留保点の間で合意します。したがって留保点の間であるZOPAが重要になるのです。「ZOPA」とともに大切なものが「BATNA」でした(第3回)。BATNAは交渉者がもつ代替案のなかで最も満足度が高いものです。交渉テーブルにつく前にBATNAを強くしておくことで交渉力を高められます。
また分配型交渉では、立場固定戦術、譲歩戦術、善玉悪玉戦術、ショッピングリスト戦術などの「交渉戦術」がありました(第4回)。ただ、これらの交渉戦術を繰り出す前に、相手の留保点をしっかり見極めることを忘れないようにしましょう。また交渉では必ずしも交渉者同士が対等な関係にあるわけではありません。そこで泣きの戦術や第三者の介入といった「弱者の戦術」も大切な武器になります(第9回)。
≪統合型交渉について≫
統合型交渉は交渉者同士がよりハッピーになるウィン・ウィンな交渉ですが、これは「価値交換」と「創造的問題解決」という二つのパターンがありました(第5回)。また「社内会議」も見方を変えれば社内交渉ですが、ここでも統合型交渉を目指すべきです。もし創造的な解決策が生まれないとしたらグループ・シンクやリスキー・シフトなどの罠に陥っている可能性があります(第7回)。
≪その他の論点≫
交渉では自らの主張の妥当性を示すために、「錦の御旗」で私的な欲求をカモフラージュする(第6回)ことが大切です。また人はアンカリングや行動のエスカレーションなどの「認知バイアス」に陥り合理的に判断できないことがあるので注意が必要でした(第8回)。さらに、「交渉合意」のためには、交渉項目をどのような順番で交渉するか、また合意を得やすくするにはどうするか、といった点にも配慮が望まれます(第10回)。最後に「交渉倫理」と題して、交渉における嘘は許されるのか、許されないのか、許されるとしたらどのような場合なのかという点について考えてみました(第11回)。
以上、交渉を科学的に考えてみることを通して、皆さんに「交渉に強くなった!」ではなくむしろ「よい交渉ができそうだ!」と感じていただけたとしたら嬉しい限りです。
では、最後に交渉に関して三つの観点から考えて終わりにしましょう。
三つの問い
その1:どこからが交渉なのか?
人は家庭でも学校でも職場でも、日々、様々な人とコミュニケーションをとっています。そのためコミュニケーションと交渉の境界線があいまいになります。ここで、交渉の定義を「交渉テーブルで条件交渉をしている時」と狭くとらえることは現実的ではありません。交渉テーブルにつくまでにどれだけの準備をし、または第三者と交渉しておくかが交渉の成否の鍵を握りますから、交渉テーブルの外でも交渉は存在するはずです。交渉を広くとらえれば、日々の何気ないコミュニケーションもすべて交渉です。奥さんに「コーヒーいれてくれるかな?」のひと言も立派な交渉です。したがって交渉学の知識は交渉テーブルだけでなく、日常生活の様々なコミュニケーションの場面でも活用できるはずです。
その2:交渉相手は誰なのか?
人は誰が交渉相手なのかを間違ってしまうことがあります。社内会議をしている時、会議に出席しているほかの部長が交渉相手だと思ってしまいますが、本当の交渉相手は取引先だったり、競合他社だったりするはずです。もし交渉相手が取引先だと気づけば社内会議という交渉の場は「私 対 ほかの部長」ではなく「我々部長 対 取引先」になり、同じ利害をもつ仲間ですから、より創造的な解決策が生まれるかもしれません。
その3:交渉で何を得たいのか?
人は交渉で何を得ようとしているのでしょうか。目先の有利な条件だけを手に入れたいと考えてしまうと分配型交渉になるでしょう。取引銀行と融資条件について交渉している時、あなたが「大きな資金を低いレートで借りる」ということを交渉の目的だと考えてしまえば分配型交渉になりますが、あなたが「自社の成長のために銀行のもつ経営資源を使わせてもらう」ということを交渉の目的ととらえていれば、銀行のもつ膨大な数の貸付先企業や銀行担当者のもつ財務コンサルティング能力は魅力的な取引条件になるはずです。
覚えておきたい! 交渉の心得 ~「結果を反省しなければ成長はない!」
結果を反省しなければ成長はあり得ません。それは何事にも当てはまりますが、特に交渉の場合は反省することが難しいのです。なぜなら交渉で合意した後も、相手の本当の手の内は分からないままだからです。果たしてお互いの満足度は十分に大きくなったのか、もっと自分に有利になるような交渉の進め方があったのではないか、反省しようにも反省材料がないわけです。それでも合意できた、できなかった、という結果に一喜一憂することなく、自分の交渉を冷静に見つめなおし、次の交渉に備えることがよりよい交渉者になるためには必要なことでしょう。
望月 明彦氏
望月公認会計士事務所代表
特定非営利活動法人 日本交渉協会常務理事
ディップ株式会社監査役 (東証1部上場)(現任)
アイビーシー株式会社監査役(東証1部上場)(現任)
日本公認会計士協会東京会 研修委員会 副委員長(2010~2014)
経済産業省コンテンツファイナンス研究会 委員(2002~2003)
早稲田大学政治経済学部卒。
監査法人トーマツを経て、慶応義塾大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)修了。
その後、上場企業の経営企画部長として資本政策の立案・実施、合弁会社の設立、各種M&Aなどを手掛ける。
さらに、アーンストアンドヤングの日本法人にて上場企業同士の経営統合のアドバイザー等を務める。
2010年より望月公認会計士事務所代表。日本交渉協会常務理事。
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